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【北海道新ひだか町の祭り】第72回シャクシャイン法要祭(平成30年)

2018年9月23日(日)に取材

昨年も取材した、新ひだか町の第72回シャクシャイン法要祭です。今年は、新しいシャクシャイン像がお披露目されるということもあり、昨年以上に参加された人も多く感じます。

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新ひだか町といえば、英傑シャクシャインがいた場所です。松前神楽との直接な関わりはありませんが、時代背景を見て行くとこの事件が後を引いているのです。全面戦争になってしまった時代背景も含んで解説していきたいと思います。

シャクシャインとは?

アイヌ民族にとって「英傑」としてされており、松前藩とアイヌ民族という全面戦争のリーダー的存在が、シャクシャインです。

寛文9年・蝦夷の乱が起こりアイヌ民族のシャクシャインが中心になり、各地方に住むアイヌ民族を味方につけて、松前藩の圧制や搾取等に対して立ち上がりアイヌ民族と和人の全面戦争になりました。この結末は、松前藩がシャクシャインを騙し討ちして終息しました。

アイヌ民族にとっては、松前藩の酷い圧制や搾取に対して立ち上がった英雄なのです。そして、和人に立ち向かった人なのです。

アペカムイノミ

歴史背景は、後ろに書きます。
シャクシャインの新しい銅像ということで、楽しみにしておりました。新しい像には、白い布が掛けられておりお披露目式で見られるとして、古い像はどうなったかと見ると?あれ?存在しておりません。
台座だけでした。新聞にも記載されたようで、数日前に古いシャクシャイン像は撤去されたようです。せめて、この年だけ2つのシャクシャイン像を見られると思っていたのに・・・
アペカムイノミから始まりました。

平成30年 新ひだか町 第72回シャクシャイン法要祭 儀式前

これら一連の儀式が終わると、新しいシャクシャイン像前でのカムイノミとなりました。

新シャクシャイン像前のカムイノミ

前のシャクシャイン像は反対側、チャシの方にありましたが、現在のはその手前側、チセに近い所になりました。芝生になっており、アイヌ古式舞踊を舞う時も、素足で出来そうですね。

平成30年 新ひだか町 第72回シャクシャイン法要祭 新像 お披露目

除幕式だけの動画です。

新しいシャクシャイン像は、穏やかで気品のある像です。以前のシャクシャイン像は、勇敢な顔立ちでした。
平成30年 新ひだか町 第72回シャクシャイン法要祭 シャクシャイン像

平成30年 新ひだか町 第72回シャクシャイン法要祭 シャクシャイン像02

チセ内でのカムイノミ、イチャルパ(供養祭)

午後から、チセ内でカムイノミが行われ、外のヌサ前でのイチャルパ(供養祭)が行われます。
座る場所も規制があり、囲炉裏を囲むように斎主や副斎主、向かい側とも全て男性です。その後ろに女性が並びます。

外のヌサ前では、祭主は男性が最初にお祈りを捧げてから供物をヌサ前に撒きます。次は、女性がお祈りを行います。

平成30年 新ひだか町 第72回シャクシャイン法要祭 儀式 イチャルパ 供養祭02

平成30年 新ひだか町 第72回シャクシャイン法要祭 儀式 イチャルパ 供養祭01

シャクシャインとの戦いの後・・・

最後にここだけ軽く触れておきます。
シャクシャインが松前藩にだまし討ちで、アイヌ民族の連合は各地に散り散りになりました。この戦い時の藩主であったのは、松前矩広(まつまえのりひろ)であります。当時9歳であったので、家老や周辺の人間はやりたい放題でまつりごとを進めていたようで、アイヌの人たちが松前藩の圧制や搾取等などに目が届く訳でもなく、非常に荒れた環境であったであろうと思われます。
寛文9年(1669年)から、延宝2年(1674年)城内で藩主・矩広自ら斎主になり、周辺の神職に隔年ごとに神楽を行わられせたということを考えると、この戦い無くして、神楽も成立しなかったかもしれないと感じます。

第72回シャクシャイン法要祭 まとめ

これだけのメニューがあるシャクシャイン法要祭は、アイヌ民族を知る上では見たほうがいいイベントであります。動画でも伝わらないものがライブにはあるわけで、北海道に住んでいる以上、アイヌ民族を知らずにはということから、取材を始めたことからいろいろと教えてもらった。もう少し踏み込んだ体験が欲しいが、とにかく最後の「ポロリムセ」に飛び込んで参加して見るだけでも何かを感じることがあるだろうと思います。

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