松前神楽豆知識・雑記

松前神楽の歴史 「名称」

松前神楽については、諸説あり様々である。
今までここで紹介できなかったのは、「謎」な所があり、調べるにも資料もなければ、知っている方も少ないという現状からのスタートだった。(未だに、不明な所もあるが・・・)でもこの数年、神社に赴き取材を重ねていくと、諸説の存在が浮かび上がってきた。
「松前神楽」の起源とするところに資料が少なく、残っている資料もないというのが状況である。資料があっても確証するために、また別の関連した資料と照らし合せていく作業が必要であるが、記録自体少ないようである。
 
今回は、「松前神楽」という名称について書いていきたい。
「松前神楽」と言う名前が出始めたのは、文化三年(1806年)に徳川幕府の監察に際し、監察史・遠山金四郎景晋(とうやまきんしろうかげちか)(遠山金四郎景元、通称遠山の金さんの父親)の下問につき差し出した答書に初めて登場した。(佐々木一貫(ささきかずつら)の記したもの)
これ以降、「松前神楽」という名前を使うようになったようである。それ以前は、「春神楽」とか「鰊神楽」「七社神楽」とかで言われたようである。通称「神楽」であって、鰊豊漁祈願であれば、「鰊神楽」と呼んだりしただろうと思われる。城下七社は、(神明宮、八幡宮、馬形社、熊野宮、羽黒社、朝間社、稲荷社)の神々を迎え、その七社家が共同で奏したお神楽である。

鹿部稲荷神社,松前神楽,神遊舞神遊舞 2006年 鹿部稲荷神社

にほんブログ村 写真ブログ 祭・イベント写真へにほんブログ村
にほんブログ村 歴史ブログ 日本の伝統・文化へにほんブログ村

-松前神楽豆知識・雑記
-, , ,