北海道の祭り、郷土芸能・文化、風習、伝説などを巡礼日誌です。松前神楽の取材も継続していきます。

良き候北加伊道

【厚沢部町の獅子舞】新春町内 鹿子舞交流会(平成23年)

数年前から一度行きたいと思っていました、厚沢部町の「鹿子舞」の交流会を取材してきました。

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厚沢部町の鹿子舞とは?

通常、ししまいは「獅子舞」と書きますが、この地区の獅子舞は「鹿子舞」と書いて「ししまい」と呼びます。
鹿のような風体で行われているようにも感じられます。

会場は、厚沢部町町民交流センター「あゆみ」で行われました。新しい施設のようです。
今回出演した鹿子舞は、当路鹿子舞と富栄鹿子舞(土橋鹿子舞)の2つが行われました。上里鹿子舞も出演される予定でしたが、都合上出演できないとのでした。


鹿子舞交流会

当路鹿子舞

当路鹿子舞は、林業が盛んであった当路地区では、木材の流送作業に従事する若者が多く、厚沢部川河口の土場(現・江差町柳崎町)で仙夫や流送人夫として従事していました。土場集落に古くあった鹿子舞を見て感動した若者連中が、明治30年に土場に鹿子分けを願い、以来、今日に至っています。踊りの動作は他地区の鹿子とほとんど変わりませんでしたが、明治40年に角田源次郎が動作の一部を変え、激しい踊りにしたと云われています。終始中腰の姿勢を保つ、激しい踊りが特徴です。

※新春町内鹿子舞交流会パンフレットより引用


当路鹿子舞


当路鹿子舞

富栄鹿子舞(土橋鹿子舞)

当路鹿子舞が終わると、鹿子舞の解説が行われました。親子に渡りこの鹿子舞を行っていて、代々にこの郷土芸能が伝わっていました。少子化の時代に、この鹿子舞を継承しようとする子供等のチカラを感じました。
次は、富栄鹿子舞(土橋鹿子舞)が行われました。

富栄鹿子舞(土橋鹿子舞)は、延宝年間(1647年頃)南部津軽衆がこの地に移住した際に、鹿子踊りを伝えたと云われています。文化5年(1808年)の古い記録には、土橋の鹿子踊りが江差の市中で踊られているが記されています。祭事や祝賀、お盆にこれを舞い、豊年満作、五穀豊穣を祈願して今日まで伝承されています。

※新春町内鹿子舞交流会パンフレットより引用


富栄鹿子舞(土橋鹿子舞)


富栄鹿子舞(土橋鹿子舞)

【厚沢部町の獅子舞】新春町内 鹿子舞交流会 まとめ

交流会が終了しふと見ると、美和権現舞の笛吹きの方と会い、ご挨拶申し上げました。
権現舞も出る予定でしたが、舞い手の病気で出れなかったようです。神社では練習していたようであります。
今回は2つしか見れませんでしたが、今後も交流会を継続して欲しいと感じました。

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