引き続き、姥神大神宮渡御祭ですが、下町巡行はいにしえ街道を練り歩きます。
この日でしか見れない光景としては、船山・松寳丸であります。船山らしく帆を上げての巡行です。2日目の上町巡行では、見ることが出来ません。電柱のない、いにしえ街道なので帆を上げて巡行が出来る訳です。上町巡行には、無理なようです。
帆を上げる船山・松寳丸
下の写真は、義公山の切り声風景です。昨年見た限りでは、ソーラン節まで聴くことができませんでした。2部構成になっています。
切り声とは、曵綱を商店や関係者の家の中に入れ、繁昌と安泰を祝う仕来りであります。「江差沖上げ音頭」を原型とする、鰊漁の労働唄であります。元々松寶丸を創始とする祝賀行為で、松寶丸が通ると問屋筋では、北前船取引の繁栄を祝って、船頭の下船を願い座敷に招じて接待しました。店先では若者が海の男の心意気を「切り声」に託して、商運・家内安全を祝い、飲食と御祝儀にあずかるという祝賀行動であります。この仕来りが漁家の多いヤマに伝播して今日に至っています。
切り声をあげる、義公山
切り声に誘われて、来る山車(やま)に付いて、あまり良くない私が撮影した動画ですが、雰囲気だけでも味わって下さい。
茂尻町・誉山の切り声であります。
江差の祭りには、知らない人でも御馳走になれるという風習があります。
ウソのような本当な話でありまして、私はどちらか言うと遠慮しがち(?)なものですから、友人やお世話になっている人に連れられて行きます。言わなければならないセリフがあります。
結構なお祭りで・・
と言えば、飲み食いが出来るといいます。ビールはコップ3杯まで貰って、山車(やま)に戻るという決めている人もいます。毎年行くところが決められていて、巡行でその家が近くなると、決めセリフ「結構なお祭りで」で疲れを癒して、よもやま話に花が咲きます。これを「檀家周り」というようです。江差の振る舞いの文化というか、お祭りの日だからということで、私も少ない檀家にお邪魔して御馳走になっております。
いつか勇気を出して、本当に知らないところに行ってみて行動に移してみたいと思います。
いにしえ街道を通り、山車(やま)は、旧関川家別邸までやってくると、折り返しであります。
すれ違う山車(やま)
松寳丸
すれ違う山車(やま)
祭り囃子は続く
山車(やま)が橋を渡る
気が付くと、今年は山車(やま)の取材に集中しております。夕方になると、行列に提灯に明かりが灯り、一層雰囲気の出る時間になって来ます。そして山車(やま)は、愛宕町の商店街で集合となります。
神輿
愛宕町の商店街で集合する山車(やま)
そして山車(やま)は、神社前に向います。
神社に向う山車(やま)
全ての山車(やま)が到着してから、いよいよ宿入れの儀が行われます。たいまつに火が点され、道をたいまつで清め、その後ろを神輿が後を続いて行きます。一度、神社を出た神様は神社になかなか戻りたくないので、最初の神輿は神社の本殿に入る手前で戻り本殿に神輿を入れない。これを6回繰り返し、7回目でようやく本殿に入れてまず1基目は終了であります。次の神輿は、5回目で本殿に入ります。3台目は、3回目で本殿に入ります。七・五・三で入れるというのは、神道でこの数字は縁起がいい数字というとこから行われています。
南北海道の神社に取材に行ったが、この風習を行っているのは姥神大神宮だけだろうと思われます。
宿入れの儀
担ぎ手は、全て大学生であります。2基目から山車(やま)から若い参加者が加わるのだが、どうにもこの厳粛な神事を知らないようであります。この祭りのおかげで山車(やま)が、巡行出来ることの感謝を忘れています。(白装束の人達は大学生です。)大学生達は、立派にフォローして無事に宿入れの儀を終了しました。
宿入れの儀
宿入れの儀
最後に行われるは、楠公山の人達による切り声でした。立派な切り声でした。
切り声する楠公山の人達
いつも楽しみにしている、下町巡行が無事に終わりました。
明日は、上町巡行で少し距離があり、今日の疲れを引っ張ります。何より天気が心配であります。