函館市内の松前神楽

函館市 湯倉神社 宵宮祭

今年も湯倉神社の宵宮祭を取材させてもらう。
そういえば、湯倉神社には毎年取材に行くのだが、由来を記していなかった。
元和3年(1617年)創祀と伝う。
承応2年(1653年)松前藩主氏広の嗣子松前氏第9代・藩主高広が幼時(千勝丸)重い病になり、母の清涼院が霊夢に信託を得て、神社境内地に湧出していた温泉に入浴させたところ全癒したので、報賽のため承応3年(1654年)社殿を造営し、黄金の薬師像1体・唐金造りの鰐口・その他を奉納した。
明治9年村社に列せられ、同43年5月21日同村の無格社湯澤神社および同年7月31日同村の村社稲荷神社を合祀した。大正4年9月21日、神饌幣帛料供進神社に指定される。
北海道神社庁より引用
城内神楽として松前神楽が初めて行われたのは、延宝二年(1674年)であるから、それ以前のことである。
だんだん昼の長さが短くなってきた。午後6時から宵宮祭は行われた。
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宵宮祭前の拝殿
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宵宮祭の前に、子供神輿が神社に戻ってきた。
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高らかにあげられる神輿
こちらの神社では、宵宮祭・本祭の神事の中に、雅楽の浦安の舞の奉納が行われる。なんとも優雅な、巫女舞いが見られる。
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浦安の舞
今回奉納された松前神楽は、弊帛舞(みてくらまい)、福田舞(ふくだまい)、神遊舞(かみあそびまい)、三番叟(さんばそう)、獅子舞・五方(ししまい・ごほう)である。
弊帛舞(みてくらまい)、榊舞(さかきまい)、祝詞舞(のりとまい)ともいう。
その神社の宮司が朝夕玉垣内に参進して、神域を祓い清め、神拝して御幣を奉るという。神職の神明奉仕の姿を表した舞いである。函館と近郊の町で行われる際には、松前神楽奉納となる時、斎主(その神社の宮司)が最初に舞われる舞いである。
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弊帛舞(みてくらまい)
福田舞(ふくだまい)、跡祓舞(あとはらいまい)とも云う。跡祓舞(あとはらいまい)は、宵宮祭で獅子舞を行わない神社で、一番最後に行うことから跡祓(あとはらい)とも云う。四方の神々を拝し、祓い清めて干ばつ、暴水、火難の災いを除き、五穀豊穣を祈願する舞いである。
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福田舞(ふくだまい)
神遊舞(かみあそびまい)、天皇遊舞(てんのうあそびまい)ともいう。
二人の武人が弓矢を持ち、四方の悪魔を退散し、正しい心に返す意味の舞で、松前藩の威徳を内外に示し、蝦夷地鎮定、天下泰平を祈願した舞である。この舞は、松前藩主6代矩広(のりひろ)公の作品だと伝えられている。
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神遊舞(かみあそびまい)
三番叟(さんばそう)は、背が低く、顔が黒く、精力絶倫にして健康長寿、正道徳行の翁が、才智多い子孫に恵まれ自身もまた長寿であることを喜び舞う、家門の隆昌、子孫の繁栄を祝福した舞いである。
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三番叟(さんばそう)
十二回手が変わるので、十二の手獅子舞と言われる云われている。1年十二ヶ月を形どり、獅子幕も十二反使用するを本格とするのである。
五方とは、東西南北と正中(真ん中)を祓い固め蝦夷鎮定、国土安穏を祈る様を表している。
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十二の手獅子舞・五方(じゅうにのてししまい・ごほう)
明日の本祭はこれ以上の松前神楽の奉納があり、見ることができる。
一度、拝殿に入り、松前神楽を体感してもらいたい。

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