2019年1月3日取材
今回毎年行きたいと思っていて、行かなかった所でした。毎年1月3日に公開される神社がありました。函館の老舗のデパートの屋上にある神社「互福稲荷神社(ごふくいなりじんじゃ)」をご存知だろうか?
小さい神社ですが子供の頃棒二森屋屋上によく行くことがあったけど、子供の頃は神社に興味がなく、ヒーローショーや子供向けのぬいぐるみショーなどで見た記憶があります。それ以降屋上にはの取る機会もなく、屋上は閉鎖され、正月3日に屋上が解放され参拝されるということ聞いたので、今年で最後であるので行くことにしました。
互福稲荷神社とは?
棒二森屋の歴史から見てみると、
「金森森屋百貨店」は、1863年(文久3年)に長崎から函館へ移住して昆布など海産物の輸送を営んでいた大分県出身の初代渡辺熊四郎(わたなべ くましろう)が、1869年(明治2年)に北海道函館市大町で北海道初の洋品店であった「金森森屋洋物店」として創業。1925年(大正14年)12月に渡辺商事株式会社が、「四階楼」に時計台を配置した鉄筋コンクリート造3階建の新店舗を建設して金森森屋百貨店を開業する。
一方の棒二荻野呉服店は、1882年(明治15年)に滋賀県神崎郡(後の栗見荘村)出身の荻野儀平が、北海道上磯戸切地で「棒二荻野商店」として創業、呉服を扱ったのをルーツとして、1931年(昭和6年)10月2日にはシャンデリアのある催事場や食堂、エレベーターなどを装備した4階建500坪を超える大規模な新店舗に全面的な建て替えを行って本格的に百貨店化した。
両店は、将来的な函館駅前発展を見込んで店舗の移転・拡張を目指し、相馬合名会社の支援を受けて1936年(昭和11年)6月12日に合併して株式会社棒二森屋を設立した。
設立当初は旧金森森屋百貨店を棒二森屋末広町店、旧棒二荻野呉服店は棒二森屋地蔵町店として引き続き営業し、初代社長には旧棒二荻野呉服店の2代目荻野清六(おぎの せいろく)が就任した。
合併翌年の1937年(昭和12年)10月1日に函館市高砂町(現・若松町=現在地)に5階建の新店舗を開業。
棒二森屋 Wikipedia より引用
とあり現在地に新店舗でスタートした時、1937(昭和12)年に現在地に店舗を構えた後に、伏見稲荷神社の分霊をいただいて設置したようです。
棒二森屋屋上
やはり凄い人、そして参拝
最後の公開だけあって凄い行列でした。通常もこのより少ないくらい並ぶだろうと思われますが、最後の公開とだけあって長い行列でした。
互福稲荷神社
この地に京都の伏見稲荷神社分霊は、棒二森屋閉店後どこに行くのだろうと感じました。たぶん、何処かに合祀されるのだろうか、伏見稲荷神社に戻るのかと感じつつ参拝しました。
「互福稲荷神社」最後の公開 まとめ
幼い時の屋上の光景の記憶が蘇り、屋上はワクワクする場所でした。そこに鎮座していた神社に最後に参拝できたのも、気持ちがよかったです。屋上からの風景を見ると変わりゆく大門地区が見えます。もうこの光景もしばらく見られないいや、もう二度と見ることはないだろうと感じつつ、数分間見つめておりました。函館のデパートで一番好きだった棒二森屋。懐かしいやら、寂しいやら複雑な気持ちですが、もうデパートの時代ではないことは百も承知です。華やかな時代を知っていたから、何か寂しい気持ちになるのですね。