2018年11月7日(水)に取材
波宇志別神社の本殿は、山の頂上にあり、そこには取材済みで前回はその様子をご覧いただきました。天候を考えて早めにこの地での撮影を始めており、この地域の雰囲気と空気を感じていろいろと巡りました。波宇志別神社に関わるものを撮影しており、禊所(はらいどころ)や波宇志別神社(ほうしわけじんじゃ)仁王門を偶然見つけました。神社に仁王門があるというのも珍しいと感じて行ったりと関係した場所を巡って行こうと手探りの状況で、車を進めて周辺を探索しておりました。
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保呂羽山波宇志別神社山門
関係した場所を巡りました。周辺を散策していると大きな山門を発見しました。これはどこの山門だろうと近づくと、波宇志別神社(ほうしわけじんじゃ)の山門ではないですか。これは余程信仰の厚い証拠でもありますね。
元和五年(1619年)建立とあり、神仏習合(しんぶつしゅうごう)の形跡が見られます。
白山前祓所(表参道)
ふと参道の看板を見つけ、何かあるかなと行ってみると、みそぎを行う場所にたどり着きました。どうやらここでみそぎを行い、本殿に向かったと記してありました。みそぎしないで、本殿に行ってしまいました。
と記した看板より、表参道(旧秋田口)には、みそぎする瀧もあり、信仰の深さを感じられました。
波宇志別神社里宮
2日前から駆けずり回り、波宇志別神社周辺の様子を撮影しまして、波宇志別神社里宮の方に行きました。ここが「霜月神楽(しもつきかぐら)」の会場になります。波宇志別神社と言えば、通常ここの場所になるようです。
関係者にご挨拶を申し上げて、準備の段階から記録させてもらうことになりました。取材には時間と体力が必要です。
山頂の本殿、神楽殿(かつては「弥勒殿」と称していた。)では、神楽は行われていないようです。
霜月神楽準備
霜月神楽の準備風景から入らせてもらいました。神事を行うまでの風景は大事なことです。様々な細かいところを行い、今晩から明け方まで行われる神楽の準備を記録してきました。
まずは、幟を立てます。人数がいるので、門に提灯と注連縄をはる準備を行いました。
皆さん慣れている作業なのでしょう、少々年齢が邪魔していて、重い物が上がらないようでしたが、無事に幟が上がりました。
次は、笹を採って来るということで、近くの場所で笹を採取し、社務所にて御釜に入れる笹を作ります。
この笹が御釜の神事に必要な道具です。
次は、御神酒と祭壇のお供え物の準備です。
この2つの御釜で神事が行われます。御幣や紙垂を飾り、祭壇にお供えを添えると、だいたい準備が整いました。
しばらくすると、神楽長が拝殿にやってきて、太鼓の打ち鳴らし調子を見ていました。この打ち鳴らし終了時にご挨拶しました。
「いい写真を期待して、楽しみにしております。」
とおっしゃっていただきました。そう言われると、テンションが上がりますね。でも朝まで続く神楽に堪えられるか少し心配です。
しばらくすると、会場には大勢の人が拝殿に入り、神楽を待っております。この神楽を楽しみにいらっしゃる人も少なくないようです。次から次と人が拝殿に入ってきて、ご祝儀の受付が行われ会場に入ります。
神事を見させてもらうのですので、皆さん「ご祝儀」を持って来るようです。入場料とう言葉では表示もしておりません。この地域のために行われてきている神楽です。地方からいらっしゃる人も「ご祝儀」を持参して神楽を拝見するようです。素晴らしいですね。
霜月神楽とは?
霜月神楽についての解説です。
1200年以上もの歴史をもっているといわれ、神楽の体系としては湯立神楽に区分され、近郷の神官が祭主の神殿に集まり夜を徹して神楽を行います。
神楽は三十三番の神事で構成され、神子(みこ)舞いである保呂羽山舞いでは、神子が舞の途中で託宣(神の言葉)を告げる場面があり、巫女の原型ともいえる女官(神子)の姿を伝えています。
横手市ホームページ 参照
夜から朝方まで通しで神楽が行われます。
霜月神楽開始
「霜月神楽 式順序」をいただきましたので、この次第に沿って霜月神楽が行われます。
【霜月神楽 式順序】
修祓式
神降祝詞
天津祝詞
大麻行事
塩湯行事
送神祝詞
次 花入ノ式
次 打 鳴
次 大 祓
次 けんざん湯清浄
次 五調子
次 湯加持
次 天道舞
次 湯加持
次 伊勢舞
次 湯加持
次 保呂羽山舞 御饌祝詞(斎主)
次 湯加持
次 伊勢舞
次 湯加持
次 御嶽山舞
次 湯加持
次 高岳山舞
次 湯加持
中入り
次 山之神舞
次 神入舞
次 湯加持
次 辺津神舞
次 湯加持
次 壱之釜湯立式
次 湯加持
次 弐之釜湯立式
次 劔舞
次 祝詞(斎主)
次 奉幣式
次 奉幣式舞
次 御供頂戴
次 神送
次 恵比寿
次 打身
これだけの神事が粛々と進んでいくようです。これから朝までの間、どのような神事が執り行われるか楽しみです。
時間になると、神楽長、神職、神子さんの順番で拝殿に入ります。
神楽長
神職
神子
粛々と進行致します。
次第には表示されていない「楽器調べ」が行われます。笛・太鼓・鉦を鳴らして調子を整えるようなことだと感じました。
一番ごとに最初に行われるのが、神楽長によるこの尺を叩く仕草が、静寂なこの拝殿に「ピリッ」とさせます。背が伸びるような感覚になります。
花入ノ式
修祓式が終わり、いよいよ「霜月神楽」三十三番が始まります。これより明け方まで、神楽をみっちりと拝見いたします。
次に「花入ノ式」に入ります。神職と巫女の前にお米の上に、小さいモチのようなのが上がっており、神職・巫女らがまずこれをいただきます。その後、会場のにいる人にもこのモチを食べてもらいます。
私も一ついただきまして、この神楽を見守ります。
ここからは、全てを見るよりも断片的に紹介します。あまりにも長い時間で一つ一つ行われて行きますが、「湯加持」が他の神楽の合間に入っておりますので、同じ舞いですが行う人も代わりながら10番行われます。その間に神子による舞いも行われるのですが、神子3人がそれぞれ行う舞いがあるようです。
けんざん湯清浄
「けんざん湯清浄」御幣を振り、御釜を祓い清めるような仕草でした。
けんざん湯清浄
五調子
「五調子」鈴と扇を持ち行われる舞です。
五調子
天道舞
「天道舞」初めて行われた神子の舞いでした。
最初は、扇と鈴を持って舞い、後ほど御幣と笹をを持って行われる舞いでした。
天道舞
湯加持
「湯加持」は、舞いの間に入る舞いでした。御釜を祓い清めて行き、次の神子の舞いや神職の舞いが行われているように見られました。
湯加持
伊勢舞
「伊勢舞」神子による舞いです。人が代わり同じような舞いですが、名前のようにそれぞれの神々に対して祈りがことなるのでしょう。
唱えられる言葉があるようにも感じました。
湯加持
「湯加持」神職が行う舞いです。次に行われる神楽舞の前に、あらためて御釜を祓い清めて、次の舞いが行われているように感じます。
「御嶽山舞」「高岳山舞」と神子による舞いが行われていきます。最初は扇と鈴を持ち行われて、次は御幣と笹を持ち祈りを述べて、四方を清め参拝者にも御幣を振り、祓い清めているようです。一番一番の名前が違うのは、それぞれの神々に祈りを捧げ、祓い清めるという仕草なんだろうと感じます。
中入り
ここで「中入り」です。長く行われる神楽です。ここで、神楽をご奉仕している神職と神子に御膳を出して労います。
これ以降、朝までぶっ通しで神楽が行われて行きます。
途中、霜月神楽保存会による米を洗う仕草を見せてくれます。
聞いた話によると、お米を中入りの時に回りながら研いで、神楽の終わった直会で参拝者にも振る舞われるようです。この仕草も唄いながら行われます。米とぎ歌「あべでァばち、ヤ-エ、横手の町さ炭つけて…」。八沢木節「八沢木、沢目の炭焼き娘…」等が歌われるようです。
山之神舞
中入りの次は、一番重要な舞いである「山之神舞」が行われました。
行われる時間も夜の丑の刻(午前1時頃)に舞われます。およそ40分ほど舞うこの舞いは、次々と舞い方も変わっていく舞いです。最初は神楽長から御幣を渡されますが、その御幣は腰のあたりに差して扇と鈴で行われて、次は御幣を振りながら舞います。そして、御幣と扇を持つ舞、午五穀豊穣を祈願するように、椀の中に米のようなものが入ったのを持ちながら舞うものと次々と変化していく舞です。全て一人で行われる舞ですから、体力的に大変です。
山之神舞
山之神舞
重要な舞が終わると参拝者も徐々に少なくなってきますが、粛々と神楽は行われて行きます。「神入舞」「湯加持」を経て、神子の舞が入ります。神楽を進めていく方も、この辺りが大変な時間帯であると感じます。
会場も最初と比べても、この神楽を見守る人も少ないです。
剣舞
神楽も進み、神子の二人舞「剣舞」です。二人でしかも神子が神楽長より剣を受け取り行われる舞いです。受け取った剣を戻してまた、笹と御幣を持った舞い(神子が行った舞いと同様)が行われます。神子が剣を持つというのは、初めて見ます。
剣舞
奉幣式舞
「剣舞」が終わると、「祝詞」で斎主が垂纓に狩衣をまとい、神座の前で神楽祝詞を奏上します。その次に行われる「奉幣式舞」へと流れて行きます。
楽人が、保呂羽山・御嶽山・高岡山の御幣を、それぞれ斎主に渡して、祓います。楽人の一人が三体の幣束を持って舞います。
御供頂戴
三社のお供えを下ろし、昆布を二つ折りにして「七浜や八浜の浦のしほ昆布 …」の歌を歌いながら包丁で切り、切った昆布は、さらにお供えの餅と一緒に切り、祭員一同が、御神酒とともにいただきます。
御供頂戴
神送
米を入れた一升枡と幣や湯箒を釜の前に供え、神楽長が小刀で四方に張り巡らしてある注連縄を切ります。
神送
神送
恵比寿
神楽長と神子の前に膳が出され、神楽長が天津祝詞を唱え、神酒と肴をいただきます。烏帽子・恵比寿面・白張・袴姿の恵比寿が竿で二人の膳の鰰を釣り上げ、篭に入れます。
恵比寿
恵比寿
打身
神楽座が片付けられ、斎主夫妻を正面に、コの字型に祭員、関係者が座り、神歌「インヨ-面白や 肴には浜の真砂の数よりも 尚ひさひさと祝いなるもの 祝いなるもの インヨ-」「霜月は霜をいただく八乙女の 心もすめるあさくらの声 あさくらの声 インヨー」を歌い、一同杯事があって、収めの舞「収めおく 国々なれば収めおく 四?の波も静かなるもの 静かなるもの いんよ-」
高砂、四海波などの謡がありすべての神事が終了します。
打身
もう明るい状況になっており、何か清々しい気分になります。参拝者と共に、神社からささやかな朝食が出されます。
眠気はあまり感じませんでしたが、ゆっくりとこの秋田県横手市から車で北上して、北海道に戻りたいと思います。
保呂羽山波宇志別神社「霜月神楽」まとめ
夕方から朝方まで神楽を拝見したのも初めてでした。どうにも松前神楽が影響された部分も見え隠れして、楽しく取材させてもらいました。
1200年の歴史を持つ神楽を維持継続していく保存会の人には、お世話になりました。