今年も元旦から、松前町清部地区に行ってきました。
毎年取材しておりますが、神楽メインで行っておりますが、その地域の風土や人と交わることでその土地の大切にしている宝物を撮影させてもらっています。
今回も門祓いから取材しようと思いましたが、思わず寝坊して出発したので間に合わず、到着して最終地点で門祓い行列を待つことにしました。行列の人に、
「今回は遅かったね」
と言われてしまい、少々恐縮ですが、毎年来ているからそう思われていると解釈でいれば、これは嬉しい言葉であります。
今回行われた神楽舞は、榊舞(さかきまい)、福田舞(ふくだまい)、二羽散米舞(にわさごまい)、兵法舞(へいほうまい)、山神舞(さんじんまい)、三番叟(さんばそう)、神遊舞(かんあそびまい)、四箇散米舞(しかさごまい)、十二の手獅子舞・五方(じゅうにのてししまい・ごほう)の九座が行われました。舞手の主は、子供たちであります。大人は、楽人であります。祝詞を奏上されると、神楽舞に入ります。
幣帛舞(みてくらまい)、榊舞(さかきまい)、祝詞舞(のりとまい)とも云います。
その神社の宮司が朝夕玉垣内に参進して、神域を祓い清め、神拝して御幣を奉るという、神職の神明奉仕の姿を表した舞いであります。函館と近郊の町で行われる際には、松前神楽奉納となる時、斎主(その神社の宮司)が最初に舞われる舞いです。
福田舞(ふくだまい)、跡祓舞(あとはらいまい)とも云います。跡祓舞(あとはらいまい)は、宵宮祭で獅子舞を行わない神社で、一番最後に行うことから跡祓(あとはらい)とも云います。四方の神々を拝し、祓い清めて干ばつ、暴水、火難の災いを除き、五穀豊穣を祈願する舞いです。
二羽散米舞(にわさごまい)、庭散米とも書き、鳥名子舞(とりなごまい)とも云います。
鶏は天の岩戸開きに暗黒の世より光明の時を告げ、世の始まりに地を踏み固めた瑞鳥であるとされています。雌雄二羽の鳥形の冠を頭に冠し、羽根には雄は瑞雲つまり天を表し、雌は海の波を形どり地を表して、雌雄親しみ和合して、世の中が平和である様を表し、神の恵みの米をまき散らし、千五百秋の瑞穂の国の五穀豊穣を祝う舞いです。この舞いは、舞楽の系統を引いています。
兵法舞(へいほうまい)は、松前藩の武威を及ぼし天下泰平を祈願する舞いです。最後に勝利した藩主が、敵の武器であった長刀を取り歓喜して一人にて舞います。北海道の歴史を表現した舞いであります。
山神(さんじん)舞は、奥山の榊葉を持ち山神を表し、海鳥のしぐさを真似て山神にご覧になってもらい、おなぐさめ申し上げるというものであります。山伏神楽系統の神楽の様子がみられます。
三番叟舞(さんばそうまい)は、背が低く、顔が黒い精力絶倫にして健康長寿、正道徳行の翁が、才智多い子孫に恵まれ自身もまた長寿であることを喜び舞う、家門の隆昌、子孫の繁栄を祝福した舞いです。
神遊舞(かんあそびまい)、天皇遊舞(てんのうあそびまい)とも云います。
二人の武人が弓矢を持ち、四方の悪魔を退散し、正しい心に返す意味の舞で、松前藩の威徳を内外に示し、蝦夷地鎮定、天下泰平を祈願した舞であります。この舞は、松前藩主6代矩広(のりひろ)公の作品だと伝えられています。
四箇散米舞(しかさごまい)、三品舞、三種舞とも云います。
この舞はお目出度い時、新鳥居や新社務所が建てた等のその神社で、お目出度い時に行われる舞いであります。これは、南北海道だけの風習であるので、道南で見られるのは貴重であります。
最初が、折敷の手(四角のマスのようなものを持つ)で、次は、弓、剣、太刀つ続き、最後は3人で太刀を組んで行われる舞いであります。
十二の手獅子舞・五方(じゅうにのてししまい・ごほう)
十二回手が変わるというので、十二の手獅子舞と云われています。一年十二ヶ月を形どり、獅子幕も十二反使用するを本格とするのであると云われています。五方とは、東西南北と正中(真ん中)を祓い固め蝦夷鎮定、国土安穏を祈る様を表しています。
いつもながら、このように毎年正月元旦に門祓いを行い、神楽を奉納するという昔であれば当然のように行われた伝統行事を守るということは、地元の理解無くては成立しません。漁業を行う人が多い地区になれば、海に感謝、神様に感謝を忘れず、日々を過ごしている様を元旦から見られるのは貴重な時間に感じられます。
このあと、招待神楽も行われました。招待神楽というのは、各家に呼ばれれば神楽を行いに行くことであります。その家でおめでたい事があった所に呼ばれる言います。そちらも取材しましたが、そちらは今回公開しません。数年前の記事を参照下さい。
明日は、福島町の白符大神宮の門祓い・神楽奉納を取材します。