2012年2月18日に取材
みなみ北海道の郷土芸能の影響は、ほとんど東北地方であります。
このブログのテーマでもあります「松前神楽」も東北の神楽の影響も強く興味があります。
今年から、趣向を変えて「松前神楽」も取材しつつ機会が合えば、みなみ北海道以外の土地や、東北まで行き郷土芸能や神楽の取材をしていこうと思います。今回は、以前から気にしていた「八戸えんぶり」を取材しました。
数回に渡り、お送りします。
「良き候松前神楽」は、とうとう本州に渡り、八戸まで行くことにしました。きっかけは、とあるイベントで見た「八戸えんぶり」でした。ほんのチラ見程度でしたが、以前から気にしていた郷土芸能だったので、日程的にも行ける環境になり、「行くしかない」と感じ行くことにしました。
八戸えんぶりは、毎年日程が決まっており、2月17日~20日と固定で決まっていて、今年は金曜日から月曜までの期間で行われました。前日の一番遅いJR便で八戸入りし、早朝から撮影に挑みました。
早朝の長者山新羅神社へ
午前7時から、長者山新羅神社で奉納するえんぶりを見に行きました。開始前から神社に入ると、もうすでにえんぶり組が、笛・太鼓を鳴らし今日から始まるえんぶりを楽しんでいるようでした。
えんぶりとは?
えんぶりとは、その年の豊作を祈願するための舞で、太夫と呼ばれる舞手が馬の頭を象った華やかな烏帽子を被り、頭を大きく振る独特の舞が大きな特徴です。その舞は、稲作の一連の動作である、種まきや田植えなどの動作を表現したものだそうです。青森の春を告げるお祭りということです。
えんぶりの起源は、
伝説も含め様々な説があるが、南部氏の太祖・南部光行公が奥州下向したころに始まったというのが通説である。
【通説】
鎌倉時代の始め、後の八戸八戸藩主南部光行は、頼朝から奥州糠部郡を拝領し、甲州(今の山梨県)から当国へ下ってきた。
奥州で迎える初めての正月、光行は自分の家来達に武装させ、有力者たちの家を訪問させたが、酒の勢いのためか家来達は抜刀乱舞したため、家人たちは恐れ慄いた。
このとき、その場に居合わせた農民藤九郎という機転の利く男が、賑やかに田植歌を歌い、農具を手に持って踊ったところ、家来達は刀を納めてその様子を見物した。
鳴子板をふり、田んぼの土をならす仕種を踊り終えた藤九郎が、南部家を祝福する口上を述べたところ、それが吉例となり、えんぶりが行われるようになったという。
神社奉納前のお囃子
えんぶりの象徴ともいえる烏帽子を被ったのは、「太夫」と言われていて、烏帽子は馬の頭を表しているいわれ、各組で絵柄が異なります。たてがみにあたる部分は「田の神様のより代」といわれ、五色のの色紙が厚く貼り並べられています。
長者山新羅神社
長者山新羅神社でのお祓い
子供たちも化粧をして、参加しています。
長者山新羅神社
神職より、祓われ玉串奉奠が行われ、神社の本殿前で、奉納摺(す)りが行われます。えんぶりを行うことを摺(す)るというそうで、太夫(烏帽子を被っている人)が行います。
長者山新羅神社
まとめ
初めてみる郷土芸能なので、勝手がわからず、早朝からお祓いをして「一斉摺り」する八戸市街地へ行くのですが、次々とお祓いにえんぶり組みが来るのが圧巻です。えんぶりの組数も30以上あるようで、どれを撮影していいのかと迷いました。
数回に渡り、八戸えんぶりの様子を紹介します。
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