北海道の祭り、民俗芸能・文化、風習、伝説などを巡礼日誌です。松前神楽の取材も継続していきます。

良き候北加伊道

【北海道洞爺湖町の祭り】洞爺湖・有珠善光寺 中島観音祭・弁天祭(平成29年)

2018年6月7日

2017年8月28日(月)に取材

以前に伊達市にある有珠善光寺の宝物館に行った時に、教えてもらったお祭りです。ここの宝物館には、重要文化財の宝庫でした。
その中にあるのが、「円空仏」です。ここにある円空仏は、少し北海道の円空仏をいろいろと写真で見ていれば、よく掘られた仏様なのです。道南にある円空仏とはちょっと形が異なる仏様です。道南の円空仏を見させてもらって数年に渡り、見てまいりました。道南には多くの円空仏が存在しており、これらを巡っていたらだんだんと楽しくなってきました。有珠善光寺で今回の祭りの存在を知り、是非参加してみたいと思いました。

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有珠善光寺について

北海道の歴史を見てもあまりこのお寺の存在は詳しくは知りませんでしたが、古刹だったことを知らされます。

天長3年(826年)、比叡山の僧であった慈覚大師が、自ら彫った本尊阿弥陀如来を安置し、開山したと伝えられている浄土宗のお寺です。慶長18年(1613年)、松前藩主慶広が如来堂の再建を図りました。その後、文化元年(1804年)、時の将軍徳川家斉公により蝦夷三官寺のひとつとして、正式な健立をみた江戸の芝増上寺の末寺です。
昭和49年5月寺の境内一帯は、江戸時代後期に歴史的な役割を果たしたとして重要であり、本堂は江戸時代の2度の有珠山噴火からも難を逃れてほぼ原型をとどめ、江戸時代のたたずまいを今日に伝えると言う理由で、国の史跡に指定されました。

有珠善光寺ホームページより引用

「北海道には歴史がない」という人もいらっしゃいますが、ざっとしかこの土地を見ていない人の意見でいい加減なことと気がつきます。地方にはそれなりの歴史があり、人が存在しており、人との交流もあったことをよく見られます。

円空仏もあり近年テレビなどにも紹介された円空仏です。ここに安置されている円空仏は、洞爺湖に浮かぶ観音島にある観音堂に安置された仏像です。
有珠善光寺の住職から聞くと、洞爺湖に浮かぶ観音島の観音堂が昨年の台風で仏様が安置されている所に、お堂の周辺の木が倒れてしまい、修復して今年のお祭りに間に合ったようです。全てご奉仕の方達で行われたようです。円空仏は、昔からこの観音島のお堂に安置されており、盗難の危険があるため近年になってお堂から有珠善光寺に持って行かれたようで、年に一度この中島観音祭に現在宝物殿に収められている円空仏を持ち込み法要を行われているとのことを聞き、面白いお祭りだと感じて取材に行くことになりました。

いざ、弁天島・観音島へ

集合場所に集合して、遊覧船に乗り込みます。遊覧船は普段この弁天島・観音島には行きません。この日だけ遊覧船が止まります。以前は遊覧船でも行けたようですが、現在は行けないようです。どうしても行きたい方は、モーターボートのコースも用意されているようです。
観光客がこの船着場で乗り降りしている光景が見られました。この島々の真ん中の船着場に、遊覧船は停泊致します。船着場から見て、右手が弁天島で、左手が観音島です。おおよそ、約10数分程でこの島に到着します。


観音島


弁天島


観音島・弁天島に到着


船着場から左手側の観音堂へ

弁天堂にて

まずは、厨子などの仏具の清掃も兼ねてお堂の清掃から始めます。

お堂の後ろを見ると、倒木がありました。この木がお堂の後ろ側を壊したと思われます。かろうじて、通常置かれているレプリカの仏様も全て有珠善光寺まで持ち帰り、お堂を直して初めての観音祭ということもあり、本物の円空仏とレプリカと二つ仏様が元の場所に赴く時に参拝したのもいいタイミングでした。

富士丸遭難者精霊追善塔

お堂の横にある慰霊塔にも供物や祭壇がのせられておりました。

よく見ると、

薦 富士丸遭難者精霊追善塔

と書いてあり、海難事故の慰霊塔というのが理解できました。側面には、亡くなった人の名前が記されており、その裏には

維時(これとき) 昭和二十三年八月二十八日 大臼山 善光寺

と記しており、丁度今日がその海難事故のあった日でした。

この事故に父親を亡くしたという方が参拝しており、この事故当時のお話を聞くことが出来ました。このお祭りは、昔大勢の人が来ており盛大に行われていたようです。余興も行われており、亡くなられたのはほとんどが当時の芸者さんだったようです。急用か何かで戻らなければならなかった父親がこの船に乗船し、事故に遭われたようです。法要が行われるようです。

観音堂・供養塔・弁天堂での法要とその後

まずは、観音堂の法要が行われました。

観音堂、供養塔、弁天堂へと法要が行われるようです。次は、69年前の今日に海難事故の法要です。

次は、弁天島での法要に向かいます。

弁天島の由来には、

一、嘉永の末期より安政の初めにかけて三田葆光(やしみつ)私財を以って此の島厳島神社を建設、円空上人鉋作り辨戈天を祭られたるに起因すと謂ひ傅所なり。

と書かれた看板を見つけました。もともと、此の島には円空上人の弁天様が安置されていたようです。

一、此の島は土人「トップモシリ」と云う神堂(カムイ)島なり、陸続きの双兒島の意と解せらる後、三田葆光(やしみつ)、厳島神社建設以来辨戈天島として世に稱せられる。

アイヌ語で、top(竹)、mosir (大地・島)であり、神聖な場所だったと思われます。江戸時代から辨戈天島として来たようです。

そして、弁天島のお堂にやってきました。徒歩で3分程度ですが、アップダウンのある山道です。

綺麗なお堂では、法要が行われておりました。円空上人の辨戈天は、何処に?
今の弁財天は、大正時代に作られたものを置いているようです。

近年多くの人は、此の島を金運がアップするパワースポットということでモーターボートをチャーターして訪れる人が多いようです。
当たる人は、数千万円当選したということもあり、よく当たるとのことでした。お金に縁がない私も、少ない賽銭を奉納し、宝くじ当選をお願いしました。

しばらく休憩を挟み、後始末が行われました。観音堂のレプリカを置いて、お堂の鍵を閉めて、本物の円空仏は有珠善光寺に持ち帰ります。年に一度の里帰りする円空仏のは、非常に面白い出来事ですね。

有珠善光寺 中島観音祭・弁天祭 まとめ

素晴らしい場所に、特別の日に訪れたのはとても良かったです。パワースポットしてもいい場所だと思われます。

さて、ここを訪問した後、さっそく宝くじ売り場に行って見てロトを買ってみました。
ご利益をいただけるように、自分から選択していくとこはしないクイックピックと、店頭にある「あたるくん」で2口購入しました。
何と結果は!

1,000円当選しました!

賽銭の金額からみても、此の程度の配当はありがたい。欲を見せた私は、当選金で宝くじを購入してみたところ、

玉砕しました・・・

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