福島町を練り歩く、福島大神宮神輿渡御の取材です。
昨年からもう1年経つのかと思いつつ、午前8時に行列は神社を出発しました。
猿田彦と神社行列
行列の先頭を行くのは、猿田彦です。猿田彦とは、
瓊々杵尊(ににぎのみこと)が天降りしようとしたとき、天の八衢(やちまた)に立って高天原から葦原中国までを照らす神がいた。その神の鼻長は七咫、背長は七尺、目が八咫鏡のように、またホオズキのように照り輝いているという姿でその神が国津神の猿田彦で、瓊々杵尊(ににぎのみこと)らの先導をしようと迎えに来たのであった。天孫降臨の際に道案内をしたということから、道の神、旅人の神とされるようになり、道祖神と同一視された。そのため全国各地で塞の神・道祖神が「猿田彦神」として祀られている。
※ウィキペディアから引用「サルタヒコ」より
「天狗」のモデルとされているて、お祭りの行列では神様なので、「天狗」ではないのだが、一般的に皆「天狗さん」と言います。
拝殿前から降りてくる神社行列
行列の順番ですが、まず先頭は「猿田彦(さるたひこ)」です。左右にいるのは、「袖引き(そでひき)」という警護役です。(地方によりこの役がある所とない所があります。そして名前も異なります。)高い下駄を履くので、バランスを保つことで猿田彦に恥を書かせない(猿田彦は、毅然としていて神様の先導役という意味もあり、転んだりお辞儀したりさせないようにする役でもあります)大事な役なのです。後ろは楽人が行列の曲(松前神楽)を奏でながら進行します。
先導する猿田彦
行列の中に巫女さん4人
その後ろに続く、塩打ち、鏡、金幣
行列は続きます。八乙女の行列
祭典委員長
最後は、宮司、その後ろに神輿が続き、各町内の山車(やま)が続きます。
高らかに上がる神輿
神社行列に続く煌びやかな山車
神社行列の後から進行してくるのは、煌びやかな山車です。各町内で編成された山車で、山車には踊りが付き物です。各山車は、踊りを披露しながら行進していきます。
踊りは、歌謡曲からよさこい踊り、地元の曲等様々です。各山車、数曲の踊りをマスターしており、見ている方も飽きさせません。
大人も子供も参加しており、各町内会が競うように福島町内を踊り、練り歩きます。
山車の先頭を 襦袢を着た先導役が華麗に踊ります。
上5枚 各町内の山車(やま)が町中を踊り歩く
初日は、福島大神宮から峠のある(知内町方面)三岳方面を練り歩き、午後からは、町の中を歩き、塩釜という矢越岬の方面の地域までを行き、月崎神社まで行き終了となります。
午後から向かう塩釜地区について
福島町の「塩釜」という地区は、福島大神宮例祭には特別な地区であります。四箇散米行列(しかさごぎょうれつ)の担当する地域なのです。
塩釜の土門(戸門)家は代々之に奉仕した。現在も大祭礼に於ける「四箇散米行列」は土門家の指揮下に代々塩釜部落にて連絡奉仕して居る。
※「正統松前神楽」より引用
と記しています。ここの地区に入ると、楽人は行列の曲から「四箇散米行列(しかさごぎょうれつ)」の楽(がく)に変えてこの地区を練り歩きます。
引用した「正統松前神楽」は、福島大神宮の宮司・常盤井武季氏が書き記した、松前神楽を説明した松前神楽の資料です。販売された本ではなく、関係者に配布された本であると聞きます。神社にも現在の在庫も残っておらず、見たいと思っておりました。
昨年この「正統松前神楽」の本をスキャンしたデータをいただき、只今読んでいる最中でした。「正統松前神楽」については、後日あらためて書くことに致します。
塩釜神社前
ちなみに、戸門家のことは、福島町の歴史的にも深いことが記されております。
福島村の古百姓といわれる家に戸門家がある。 この家に伝わったといわれる史料に 『名主戸門治兵衞 信春旧事記(くじき)』 が福島大神宮に保存されているが、 しかしその内容は、 神事に関することの集大成で、 記録の書体からすると、 常磐井家十二代笹井参河正武麗(たけあきら)の筆になるものなので、 この記録は近世以降の諸記録から摘記したもので、 福島への定着過程は記されていない。
松前藩が蝦夷地を上知され梁川 (福島県梁川町) に移封する際、 幕府の松前奉行に引き継いだと思われる 『村鑑-下組帳』 で、 この戸門家を 「古百姓 大永之頃 書物代暦 (歴) 不知、 其外書物品々、 治兵衞」 とあって、 戸門家の初祖治兵衞が大永年間 (一五二一~二五) 頃に福島に定着し、 多くの書物等もあると記している。 この記録からすれば戸門家は常磐井家より五十年程早く福島村に定着している。 近世初頭に入り村治方式が整った段階で戸門家は代々村名主となる名家でもあったが、 その出自は不明である。
※福島町史 通説編 上巻 より引用
この塩釜地区で一息し、行列は月崎神社を目指します。
獅子に厄払いをしてもらう子供
猿田彦の仕事・袖引きの仕事
毎年説明しているが、猿田彦の重要な仕事は、必ずご祝儀をもらう人に向くことです。これは、今年見てきた旧南茅部地区(現・函館市)、旧恵山地区(尻岸内八幡神社)や鹿部町・本別地区でも猿田彦の仕事(役割)がありました。
福島大神宮の猿田彦は、ご祝儀をもらっても決してお辞儀はしてはいけないとのこと。毅然としていなければならないようです。袖引きが、その代わりにご祝儀をもらいにいき、深々とお辞儀をし、もらった物を必ず猿田彦に見せることが、袖引きの仕事(役割)でもあります。
ご祝儀をもらう
袖引きの仕事は、猿田彦のお世話役でもあります。飲み物の提供や、高下駄、雪駄を履かせたり等の猿田彦役のお世話を行います。
猿田彦の身の回りの世話をする袖引き
最後、月崎神社へ
最終地点の月崎神社が近づいてくると、雲行きが怪しくなってきました。小雨が落ちてきました。
神社に入るまで大丈夫だろうと思ったが、ほんの数百メートルで、大粒の雨が落ちてきてしまいました。
雨の中、月崎神社に入る行列
神輿が神社に入り、神事(還御祭)が執り行われました。今夜この神輿は、この月崎神社で宿泊し、明日はここから出発となります。
今年の取材は、ここまでとします。やはり連日の取材が苦痛になって、明日の渡御は遠慮することにしました。
8月16日には、本祭が行われて、神楽奉納もあるので続きはそちらになりますのでご勘弁ください。