2017年7月15日(土)取材
昨日の宵宮祭から、次の日から寿都町内を練り歩く「渡御祭」が行われます。
2日前に急な用事が入り、この渡御祭も完全に取材しようと思っていたのでとても前年ですが、渡御祭の最初の方だけ拝見して戻ることにしました。来年にまた都合を合わせてみたいと思います。
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発興祭から行列準備
さて、渡御祭の出発前に行われる神事が行われます。
神輿をお祓いします。
出発の安全を祈願しての神事が行われます。一連の神事の中、上の写真は献饌(けんせん)の様子です。
献饌(けんせん)とは、神前に物を供えることです。数回に分けて神前に物を神職の手から手をへて、供えられます。
通常の神事、修祓(しゅばつ)、献饌(けんせん)、祝詞奏上(のりとそうじょう)、渡御祭の代表者の玉串奉奠(たまぐしほうてん)等が執り行います。
さて、神事が終わると町を練り歩き出します。周辺には、奴行列、山車行列の人達が神社の行列が出るのを待っております。
渡御祭スタート
いよいよ神輿が、鳥居前まで移動になりました。
鳥居を潜る神輿
神社行列の先頭になるのが、猿田彦命(さるたひこのみこと)です。
猿田彦は、祭り行列の先頭につき、神様のご案内役としての神様です。何処の神社でも同様に道案内の神様として、行列の先頭を練り歩きます。大切な役目なのです。地方によっては、一本下駄を履いたり、高下駄を履いたりしています。それっぞれの地方でも取り扱いが異なり、祭りを見て歩く際には知っておくと便利かと思います。
奴行列の人も鳥居前に集まっていたので、化粧が汗等で崩れる前に撮影させてもらいました。ここの奴行列のメイクはそれぞれの工夫して、行われているようです。
子供らも同様に化粧して、行列に加わります。
道化奴と呼ばれており、化粧して行列に参加します。道南地方(みなみ北海道)にも奴行列はありますが、化粧していた形跡も写真で見られており、現在は化粧を行う所は少ないかも知れません。
さて、行列は町の中に入っていきます。先頭の塩打ち、旗持ちの方や、猿田彦が後を練り歩きます。
奴行列は世代に別れており、皆さん楽しそうに参加されているようです。
天気が良かったので、化粧は汗で落ちて行くように感じられます。綺麗なうちに写真に収まってもらいました。
祭りの風景には、行列はもちろんのこと、地域の人たちと神社との交流の場でもあります。宮司と地域の人の会話を聞いてみると、神社と地域の人との関わりが理解できると思います。
地域が協力しながらの生きている光景がそこにあります。
行列は、よく止まり休憩をします。家々でテーブルを引いて、行列を見守りながら労う風景は、祭りでしか見ることができません。各自、好きな物を飲んだりいただいたりしながら、行列は進みます。
寿都松前神楽保存会による子供達の獅子舞
初めて見させてもらいましたが、神社行列の後ろに松前神楽保存会による行列が出ていました。
ここでは、子供達が、獅子舞の面足獅子(もたりしし)を行いご祝儀をもらっておりました。子供が、猿田彦の役で、獅子役も子供達で行われております。交代要員が多いようです。
面足獅子を行なっている様子です。(下)
さて後は、山車行列が連なります。道南では山車を出している地域は少なく、無くなってきております。日本海側の祭りには、このような山車が必ずと言って出ています。町内会で1台だしており、人が多かった時にはそれなりの台数が出ていたと思われます。
せたな町でもそうですが、山車を引いている関係者は踊りも披露して、ご祝儀をいただきます。古式な踊りではなく、現代のメロディーで踊りが披露されております。練習もしているようで、だいたいの子は踊っておりました。レパートリーも多いようです。
ここの道で見たのをアップしました。時間の関係上、ここで通過した山車を見て、戻らなければならず、後ろ髪を引かれる状況で寿都町を出ました。
まとめ
来年は完全に見たいと感じております。都合が合うように頑張りたいと思います。
2日間も町の中を練り歩き行われる渡御祭は、町の大イベントなのだろうと感じられます。大きい街で育った私は、何度見てもこのような光景は美しいと感じます。