2016年8月26日に取材
北海道新聞の記事を拝見して、「52年ぶりに!」と驚いてしまいました。
1964年を最後に松前神楽の奏上は行われていないようです。北海道新幹線開業、市制施行10周年などの慶事を記念して行われるようであります。
8月19日頃の北海道新聞朝刊の地方版に掲載された記事によると、午後1時より松前神楽を行うということでした。
文月稲荷神社の歴史
北斗市(旧大野町)の文月地区にある、松前藩のゆかりのある神社であることは理解しておりましたが、松前神楽を奏上していなかったようです。文月稲荷神社については、下記の通りに
文月稲荷神社の勧請年は定かでないが、元禄5年(1692年)に南部野田村から来た作右衛門がこの地で米を収穫した事実や、境内にある杉の巨木が樹齢300年以上と推定されることから、勧請はそのころではないかと思われる。祭神は倉稲魂命で、例大祭は8月26日である。
松前藩10代藩主章広が文政6年(1823年)に再建を命じた記録があり、同年に自ら揮毫した「正一位文月白狐稲荷大明神」の社号額や再建の由来を記録した由来額、完成を祝った俳句額が納められ、市の指定文化財となっている。
また文政7年に紀州紀伊国本宮の神官が松前、箱館へ渡来した形跡があり、文月の先祖の人々は社格の認定と本宮の権威ある神官に拝んでもらおうと、神官を呼び寄せたと見られ、同年4月27日付の社格認定書が残されている。
松前藩主は徳川幕府直轄時代から有珠の善光寺に将軍家の供進使として代参し、その途中、休憩を兼ねて文月神社に参詣した。文月には藩主がしばしば鷹狩りにも訪れており、文月の白狐稲荷、湊(旧銭亀沢村)の石倉稲荷、江差笹山の直満稲荷は、松前藩下の三代稲荷と称された。
このような場所で、52年以来行われていない松前神楽を行われるのは、見ておいた方がいいでしょうということで取材に行きました。
ということは、初めて取材する神社であります。以前から気になっていた場所でありまして、松前藩ゆかりの神社で松前神楽を見ると言うのを感じると、神楽をより良く見られると感じております。とても雰囲気のある場所であると思われます。
行った時には祭礼は、終了しており神楽だけ行うと言う事になっておりました。
文月稲荷神社 拝殿
松前神楽 鎮釜湯立式
鎮釜湯立式から入ります。
鎮釜湯立式とは、鎮火祭という火を鎮める神事であります。釜でお湯を焚きホムスビノ神とミズハノメノ神をお祭りし、火(霊)を祓い清め、釜に向かい神歌を奏で鎮釜・鎮火を行います。また、湯笹で四方を拝し祓い清め除災招福を修します。この笹湯は祓われて外症状を治し、飲んで内症状を良くすると言われております。また、作物・漁獲量の吉凶を占う神事であり、松前神楽三十三座の中に十二座入っている神事です。
鎮釜湯立式
52年ぶりの松前神楽奉納
神楽舞の奉納に入ります。行われた神楽舞いは、下記の通りで、十座行われました。動画は、山神舞からお送りします。
幣帛舞(みてくらまい)、榊舞(さかきまい)、祝詞舞(のりとまい)とも云います。その神社の宮司が朝夕玉垣内に参進して、神域を祓い清め、神拝して御幣を奉るという、神職の神明奉仕の姿を表した舞いです。函館と近郊の町で行われる際には、松前神楽奉納となる時、斎主(その神社の宮司)が最初に舞われる舞いです。
榊舞(さかきまい)
福田舞(ふくだまい)、跡祓舞(あとはらいまい)とも云います。跡祓舞(あとはらいまい)は、宵宮祭で獅子舞を行わない神社で、一番最後に行うことから跡祓(あとはらい)とも云います。四方の神々を拝し、祓い清めて干ばつ、暴水、火難の災いを除き、五穀豊穣を祈願する舞いです。
福田舞(ふくだまい)
二羽散米舞(にわさごまい)、庭散米とも書き、鳥名子舞(とりなごまい)とも云います。鶏は天の岩戸開きに暗黒の世より光明の時を告げ、世の始まりに地を踏み固めた瑞鳥であるとされています。雌雄二羽の鳥形の冠を頭に冠し、羽根には雄は瑞雲つまり天を表し、雌は海の波を形どり地を表して、雌雄親しみ和合して、世の中が平和である様を表し、神の恵みの米をまき散らし、千五百秋の瑞穂の国の五穀豊穣を祝う舞いです。
二羽散米舞(にわさごまい)
千歳(せんざい)は、百千歳の歳を重ねた老翁が、大君より長寿を祝福され、目出度い文箱を賜ったので、喜びの余り、手の舞い、足の踏むところ知らず舞い納めます。身体強健、寿命長久を祝した舞いです。
千歳(せんざい)
三番叟(さんばそう)は、背が低く、顔が黒く、精力絶倫にして健康長寿、正道徳行の翁が、才智多い子孫に恵まれ自身もまた長寿であることを喜び舞う、家門の隆昌、子孫の繁栄を祝福した舞いです。
三番叟(さんばそう)
翁舞(おきなまい)は、面白く背が高く心柔和な老翁が、額にしわがよっても身体堅固で幾星霜を経る間に、身分が高い位に登った姿で、舞中に願意を言葉に表し、息災延命、立身出世を祝って舞う福禄寿の備わった最も目出度い舞いです。
翁舞(おきなまい)
山神(さんじん)舞は、奥山の榊葉を持ち山神を表し、海鳥のしぐさを真似て山神にご覧になってもらい、おなぐさめ申し上げるというものです。
山神(さんじん)舞
神遊舞(かんあそびまい)、天王遊舞(てんのうあそびまい)とも云います。二人の武人が弓矢を持ち、四方の悪魔を退散し、正しい心に返す意味の舞で、松前藩の威徳を内外に示し、蝦夷地鎮定、天下泰平を祈願した舞です。この舞は、松前藩主6代矩広(のりひろ)公の作品だと伝えられています。
神遊舞(かんあそびまい)
注連祓舞(しめはらいまい)、〆引(しめひき)、七五三祓舞(しめはらいまい)とも云います。白扇を四方四隅中央を祓い、真剣を抜き天井に十文字の縄を張った注連縄を切り払い、悪魔退散、国土安穏、千秋万歳を祝して舞われる舞いです。
注連祓舞(しめはらいまい)
十二の手獅子舞・五方(じゅうにのてししまい・ごほう)十二回手が変わるというので、十二の手獅子舞と云われています。一年十二ヶ月を形どり、獅子幕も十二反使用するを本格とするのであると云われています。五方とは、東西南北と正中(真ん中)を祓い固め蝦夷鎮定、国土安穏を祈る様を表しています。
十二の手獅子舞・五方(じゅうにのてししまい・ごほう)
十二の手獅子舞・面足獅子(じゅうにのてししまい・もたりしし)本来、御稜威舞、獅子の鈴上、五方と続き、コミカルな楽に変わると猿田彦が登場します。鎮まっていた獅子を手玉にとり、遊び戯れて平和な世の中を招く悪魔降伏ということです。
十二の手獅子舞・面足獅子(じゅうにのてししまい・もたりしし)
52年ぶりに行われた松前神楽ですが、普段よく神楽を見ているので物珍しさは無いのですが、松前藩のゆかりのある場所で神楽が行われる事に興味が出て拝見する事にしました。
これ以降も、松前神楽が行われることを望みますが、どうでしょうか?今回だけなのでしょうか?
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文月稲荷神社