10月17日、今年の南北海道地方で行われる例祭は、ここで終了になる有川大神宮である。
有川大神宮について調べたが、諸説有り詳細はわからない。様々な諸説があるので、紹介したい。
神職は、松前八幡社の白鳥家が地内の社家との師弟関係(本社末社の関係)があり、封建的関係は存在していた。松前の八幡社と本末関係を結んでいるのは、八幡社白鳥隼人佐の弟子分になっている有川神明社1社であった。
※北海道大学図書館行会 「北海道の仏教史の研究」 佐々木馨 より
以前は、有川神明社という名前だったと思われるので引用してみた。
種田家については秋月藩との関係が深い。筑前(九州)の領主秋月家は九州随一の勢力を誇る大名であったが、天正15年秀吉の九州征伐で、その軍門に下った。
その中に秋月家の庶流種田権頭胤直がいた。豊臣秀吉に仕えて大阪に住んでいたが、慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いで敗れた。
種田権頭胤直は旧藩士の推挙により、半年の歳月を経て、南部藩に入国した。その後3年を経て、南部藩と交易の深かった松前藩に、転進推挙されて、青森県下北郡佐井村を経て、大間より海路松前に上陸した。当初は萬願寺の住職をしていたが、飽き足らず、2年後の、慶長7(1602年)年4月に有川村(現北斗市上磯町)へ渡った。そして慶長10(1605年)年3月に神社を再建した。これが現在の種田宗家有川大神宮である。
と、諸説あるのでこの程度にしておこう。記録が残っていて、照らし合せる資料がないということは、松前神楽を知ってからいろいろ調べてみた結果よくあることなので、何かの資料が出てくる以外に真相は定かではない。諸説の方も、詳しいことがわかり次第、紹介していきたいと思う。
南北海道でトリを飾る例祭であるのと同時に、私の住む所の氏神様のお祭りである。今年最後の例祭の取材となりそうだ。
松前神楽・鎮釜湯立式
本祭での神事が行われていき、鎮釜湯立の神事に入る。
上・3枚とも 鎮釜湯立式
松前神楽・舞楽
行われた神楽は、榊舞(さかきまい)、二羽散米舞(にわさごまい)、翁舞(おきなまい)、山神(さんじん)、神遊舞(かみあそびまい)、注連祓舞(しめはらいまい)、十二の手獅子舞・五方(じゅうにのてししまい・ごほう)、面足獅子(もたりしし)が行われた。
榊舞(さかきまい)、弊帛舞(みてくらまい)、祝詞舞(のりとまい)ともいう。
榊舞(さかきまい)
その神社の宮司が朝夕玉垣内に参進して、神域を祓い清め、神拝して御幣を奉るという。神職の神明奉仕の姿を表した舞いである。函館と近郊の町で行われる際には、松前神楽奉納となる時、斎主(その神社の宮司)が最初に舞われる舞いである。
榊舞(さかきまい)
二羽散米舞(にわさごまい)
二羽散米舞(にわさごまい)、庭散米とも書き、鳥名子舞(とりなごまい)とも云う。
鶏は天の岩戸開きに暗黒の世より光明の時を告げ、世の始まりに地を踏み固めた瑞鳥であるとされている。雌雄二羽の鳥形の冠を頭に冠し、羽根には雄は瑞雲つまり天を表し、雌は海の波を形どり地を表して、雌雄親しみ和合して、世の中が平和である様を表し、神の恵みの米をまき散らし、千五百秋の瑞穂の国の五穀豊穣を祝う舞いである。
二羽散米舞(にわさごまい)
翁舞(おきなまい)
翁舞(おきなまい)は、面白く背が高く心柔和な老翁が、額にしわがよっても身体堅固で幾星霜を経る間に、身分が高い位に登った姿で、舞中に願意を言葉に表し、息災延命、立身出世を祝って舞う福禄寿の備わった最も目出度い舞いである。
翁舞(おきなまい)
山神(さんじん)
山神(さんじん)は、奥山の榊葉を持ち山神を表し、海鳥のしぐさを真似て山神にご覧になってもらい、おなぐさめ申し上げるというものである。
山神(さんじん)
神遊舞(かみあそびまい)
神遊舞(かみあそびまい)、天王遊舞(てんのうあそびまい)ともいう。
二人の武人が弓矢を持ち、四方の悪魔を退散し、正しい心に返す意味の舞で、松前藩の威徳を内外に示し、蝦夷地鎮定、天下泰平を祈願した舞である。この舞は、松前藩主6代矩広(のりひろ)公の作品だと伝えられている。
神遊舞(かみあそびまい)
注連祓舞(しめはらいまい)
注連祓舞(しめはらいまい)、〆引(しめひき)、七五三祓舞(しめはらいまい)ともいう。白扇を四方四隅中央を祓い、真剣を抜き天井に十文字の縄を張った注連縄を切り払い、悪魔退散、国土安穏、千秋万歳を祝して舞う。
注連祓舞(しめはらいまい)
十二の手獅子舞・五方(じゅうにのてししまい・ごほう)
十二回手が変わるので、十二の手獅子舞と言われる云われている。1年十二ヶ月を形どり、獅子幕も十二反使用するを本格とするのである。五方とは、東西南北と正中(真ん中)を祓い固め蝦夷鎮定、国土安穏を祈る様を表している。
十二の手獅子舞・五方(じゅうにのてししまい・ごほう)
まとめ
今年の例祭取材はこれで終了となった。今年は松前神楽の北限である、鬼鹿まで取材させてもらい、これで北から南まで松前神楽を見たということもあり、来年は少々選んで取材したいと考えている。例祭の記事も、視点を変えて公開していきたいと考えている。
例祭が終わったので、松前神楽の歴史について書いていきたいと思っている。今後とも、ご愛顧を・・・