2017年9月19日に取材
さて、岩木山神社のお山参詣の取材2日目は、「宵山」と言われております。各町内のお山参詣の行列が、岩木山神社に参拝にいらっしゃいます。岩木山観光協会では、一般の人でもこの行列を体験できる「レッツウォークお山参詣」が毎年企画されております。
この行列を対象とした撮影をしていくことになりました。
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お山参詣基礎知識
お山参詣は、向山、宵山、朔日山と3日間行われます。
向山(むかいやま)と呼ばれる初日は、岩木山神社では、訪れた多くの人たちが参道を上ってお参りします。
「宵山(よいやま)」では、大勢の参拝者が黄金色の御幣や色あざやかな幟(のぼり)を掲げ練り歩きます。白装束に身を包んだ参拝者たちは、登山囃子が響く中「サイギ、サイギ」の掛け声を響かせ、岩木山神社を目指します。
最終日の3日目は、旧暦8月1日の「朔日山(ついたちやま)」。参拝者は岩木山の山頂を目指して未明に出発します。懐中電灯などの明かりを頼りに岩場を登り、山頂付近でご来光に向かって手を合わせます。
この3日間が祭りであります。前回書いたのは向山(むかいやま)ということでした。神社での取材でしたが、大勢の人が参拝にいらっしゃっていました。
集合場所(あそべーる)へ
行列の集合場所へ行くと大勢の人が、準備をされており、衣装を着たり、行列の役割を説明したりと熱気が伝わってきます。
このような大きな御幣が何本もあり、登山囃子を奏でながら岩木山神社を目指します。
登山囃子とは
登山囃子(とざんばやし)とは、
もともと「登山囃子」は「登拝(とはい)」の囃子と呼ばれていたようです。その原型となったのが。岩木山の麓にあった「百沢寺」(ひゃくたくじ)の住職が作ったとされる登拝の唱文(しょうもん)です。これは現在は「さいぎさいぎ」と呼ばれています。(中略)藩政時代の登拝の囃子は大きく分けると新田地方(西郡)の囃子と古田(こでん)地方(中弘南)の囃子にというふうに特徴が分かれていたようです。その他にも各村々で囃子があったようです。その後も登山囃子は幾多の変化を遂げてきたと言われています。
そして昭和24年に登山囃子研究会という組織が設立されました。その後昭和25年の8月に、ヤマヤタダシ氏・コンケンゾウ氏・キムラゲンゾウ氏を中心に、それまで村々で特徴のあった「登拝(とはい)の囃子」のいいところを集め、古い囃子の曲調をくずさないようにして、現在広く演奏されている「共通の囃子」が作られました。
登山囃子という言葉はこのとき出来たといいます。それ以前は「登拝(とはい)」の囃子と呼ばれてました。 (津軽の暮らしと文化 ばだら倶楽部より引用)
登拝の唱文(しょうもん)を唱えながら進んで行きます。登拝の唱文(しょうもん)は、下記の通り
六根懺悔(ドッコイサイギ)/人間の感ずる六つの根元。目・耳・鼻・舌・身・意の六根の迷いを捨てて汚れのない身になる。
御山八代(オヤマサハツダイ)/観音菩薩・弥勒菩薩・文殊菩薩・地蔵観音・普賢菩薩・不動明王・虚空蔵菩薩・金剛夜叉明王
金剛道者(コウゴウドウサ)/金剛石のように揺るぎない信仰を持つ巡礼を意味します。
一々礼拝(イーツニナノハイ)/八大柱の神仏を一柱ごとに礼拝する。
南無帰命頂礼(ナムキンミョウチョウライ)/身命をささげて仏菩薩に帰依し神仏のいましめに従う。
岩木登山ばやし保存会ホームページより引用
神社へ向かう行列なのに、お経のようなことを唱えてながら行進します。
お山参詣行列の準備
御幣や旗はもちろんのこと、お供えを持って行列に出るようです。お供えは、りんごや餅、様々なお供えだったりとその地域の規模だと思われるお供えを持って行列も参加しております。
参加する人は、ここで着替えて各持ち場を告げられ、出発式を迎えます。
この日は、天気も良かったので御幣を持ち出すと、気持ちが高くなってきますね。
レッツウォークお山参詣の行列の先回りして休憩所で待機
ロケーションは2日も行いまして、だいたいの道筋や行われることを聞き出しましたが、一度も体験したことがないので雰囲気がよくわからないということで、休憩場所に先に赴き、行列が進行して見栄えのいい所を探しておりましたので、そこで先回りで待っております。
りんご畑の中に見えるのが「岩木山」です。
行列もどのように進行してくるかもわからないで待っておりましたので、緊張して待っていると、遠くの方から祭囃子の音色が聞こえてきます。行列が間近ということは言うまでも有りません。
行列は、先ほど記した登拝の唱文(しょうもん)を唱えながら進んで行きます。
ここで、「旗立て」が行われるようで、どのように行われるかと見ていると、大きな神社のお祭りの際の鳥居近くに設置している大きな幟(のぼり)級の旗を立てるパフォーマンスがあります。
一人でこの大きい旗を立てて、周りが縄で支えてこの大幟を観客に見てもらいます。
片手、両手で幟の先を持ち、高く持ち上げます。
今回は、女性がこの幟を持っていました。この行列では初めてのことだったようです。立派に大きな幟を立てました。
次の場所へ
この旗揚げが終了すると、次の場所への移動です。岩木山が真ん前に見える場所では、多くの取材陣が待機されており、若干の隙間に入りこの「旗立て」を岩木山背景に、見守ることにしました。
さて行列を追い越し、また岩木山と行列の御幣が見えるポイントへ移動しての撮影です。
ここまで来るとあとは神社前での旗立てが行われます。
岩木山神社前にて
ここで各町内で行列が出されて、この鳥居前で旗が立てられます。ここでの披露がメインであると思われます。多くの人が、その光景を見ようと集まってきております。
どこの場所よりも長く行われております。祭囃子も鳥居をくぐりながら、拝殿まで行われます。
大人数で、拝殿前にお祓いを受けます。
拝殿で参拝したら帰りは踊りながら帰る「バダラ踊り」をしながら帰ります。
岩木山神社に無事登拝の報告をした後は、楼門からバダラ踊りをして帰途につきます。
いい山かげた朔日山かげた…バダラ、バダラ、バダラヨー
バダラ、バダラ…「跋折羅」=バサラ=おテンバ娘などのように極端にはしゃぐ。おどける。はめをはずす。
バダラ踊りは、登拝を無事すませたという喜びと、お山がそれぞれの願い事を聞き入れ登拝した方々に神通力が宿ったということを表現したものです。
登山囃子コンテスト
夕方から行われる登山囃子コンテストです。数多くの人がこのコンテストを受けるようで、その光景を見ようと多くの人が神社境内に集まってきております。
笛、太鼓、鉦の三人で行われており、子供達の祭囃子も素晴らしく、この祭りの人気をみることができると思います。
まとめ
天気も良くなり、岩木山も見られたので、明日のご来光も大丈夫に思われます。早めに宿泊先に戻り、明日というか夜中に車で8合目まで行き、リフトで1合分登り、残りは登山して奥の院に行き、ご来光を待つという流れですが、深夜に登山というのは初めてかもしれないです・・
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