前回から引き続き、松前神楽の形式について紹介したいと思います。
[toc]
松前神楽の系統
大きく分けてこの3つ存在します。
函館市をはじめとした各町で行われている「渡島式・風(函館式とも呼ばれています)」、松前町をはじめとした各町で行われている「松前式・風(福山式とも呼ばれています)」と、福島町・小樽をはじめとした日本海沿いに伝承されて行った「福島式」とあります。
「福島式」伝承について
福島式・風の松前神楽形式は、福島町と後志方面の数カ所で行われています。
福島町は以前鰊漁が盛んな所でした。地元の労働者は福島町で鰊が捕れなくなると漁場を求め、日本海沿いに北上して行き鰊場を作り労働していました。その移住した人の中には福島町で鰊漁していた人もかなりいたと思われ、故郷福島町で行われていた神楽をその土地で行われたという物語があると思われる。
【松前神楽の系譜】福島式について
松前神楽形式の3つ目の形式、「福島式」であります。名前の通り、南北海道の福島町で行われている松前神楽形式です。
見た目は、「松前式(風)」によく似ており、楽(笛・太鼓)がよく似ており、笛などでも少々の「アヤ」(笛の音の流れを良くする通常の楽(笛・太鼓)に付け加えた所)が付いたりとありますが、基本の楽(笛・太鼓)はよく似ております。
4ブロックの中でも保存会を組織して維持伝承していたのは、「福島町松前神楽保存会」が一番早かったようでありますし、楽人育成は当時でも多かったようであります。福島町にとってもこの「松前神楽」というのは特別な存在であり、人々の楽しみや娯楽の中の1つであり神楽に魅了されて神楽会に入る人も少なくなかったと考えられます。
福島だけに伝わる掛け声
私個人のイメージでは、神楽が盛んに行われている町というイメージで、渡島の中でも町民の中に浸透している地域であり、神楽舞終了後に必ず、「ようそろう!」とかけるのも、福島大神宮代々の宮司が神楽の普及の為に努力した賜物でないかと思われ、松前神楽が盛んな町であると考えられます。(各神楽舞終了後「ようそろう」と声掛けするのは、福島地区だけの風習になっている。)
以前聞いた話によると、松前藩主が松前神楽を見て、
「よくできてそうろう」
とおっしゃったことから、神楽舞終了すると、「ようそろう」と観客から言葉をかけるということから来ております。
福島町での松前神楽
現在、行われる神楽舞は、
神楽始・祝詞舞・鈴上・跡祓舞・利生舞(宵宮祭のみ)・庭散米舞
三番叟・翁舞・神遊舞・山神舞・注連祓舞・獅子舞(五方舞・佐々良)
兵法舞・荒馬舞・鬼形舞・八乙女舞
とあげましたが、私が数年宵宮祭や例祭・イベント等を拝見させてもらい、よく行われている舞いを書きました。
それ以外に通常他の地域で行われている神楽舞の
千歳・獅子の上(御稜威舞)・獅子の鈴上
とあります。「獅子の上(御稜威舞)」は、以前「松前神楽の特別舞台「神有月-お客様は神様-」 で行われましたが、それを最後に見たことがありません。
他に資料では、
湯倉舞(明治19年11月の福島大神宮御遷宮式次第には行われた記録がある)
荒神舞(白刃を口にくわえて宙廻転して舞う危険なものであるため行われていない)
神送舞(明治19年11月に行われた記録があるが、長年絶えている舞いらしい)
もありますが、現在はどのブロックでも見ることはできないと思われます。
「八乙女舞」というのも存在しており、時の宮司・常磐井武宮氏の調査により、以前「八乙女舞」を行なっていた巫女さんから聞き出し、当時を思い出しながら復活させてきたという話から、千軒そばの花鑑賞会で披露され例大祭でも行われるようになったと記憶しております。この舞いは、神に仕える神子乙女の祝福の稚児舞で、少女二人で舞うものであるとされています。
福島式の現在
若手の楽人の人材にも恵まれ、松前神楽(福島式)の魅力されて神楽会に門を叩く、入門者がいると聞きます。
人口減少の中、神楽会の人数も少なくなる傾向の中、4つの大きいブロックの中のひとつとして維持継続に努めている神楽会です。
主に福島町内の神社の宵宮祭・本祭で松前神楽が奉送されております。
松前神楽形式「福島式」ついて まとめ
松前神楽形式を3つ紹介してきました。どの形式も「松前神楽」であり、普通に見ても、「少しだけ違うな」と思われる程度かもしれないですが、3つの形式を見るとなんとなく異なるのが見えてくると思います。
どれも現在も継承されている「松前神楽」であり、どの形式もその土地や関わりのあった土地に渡り継承されてきた「松前神楽」であると言えます。形式や舞い方・楽(笛・太鼓)が異なっても同じ松前神楽であり、南北海道から道央に伝わっている立派な神事芸能であります。
一度、各形式をご覧になって見てはいかがでしょうか。この神楽の魅力が少しでも伝わればいいと感じております。