2018年11月4日(日)に取材
秋田県横手市にある、保呂羽山波宇志別神社(ほろわさんほうしわけじんじゃ)の霜月神楽の取材をさせていただく機会をいただきました。1200年以上の歴史を持つ神楽ということで、どんな神楽をするのだろうという期待を持って現地へ向かいました。霜月神楽の神楽の体系としては湯立神楽に区分され、近郷の神官が祭主の神殿に集まり夜を徹して神楽を行います。斎主として近隣のゆかりのある神官6人を里宮に招き、神楽を奉納します。この形式を寄合神楽といい、霜月神楽は寄合神楽の古い形式を伝えているといわれているようです。
ついつい「松前神楽」と比べて見ますが、1200年以上の歴史を持っているので比べるなんてと思いますが、東北方面の影響を受けている神楽ですので、「霜月神楽」を見て、どこかにそれらしいのが見られればいいと思います。
この取材は「ダイドードリンコ 日本の祭り」AKT秋田テレビ で放映される「ダイドードリンコスペシャル 12世紀の時を刻んだ伝統の舞~保呂羽山霜月神楽~」でオンエアされます。
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保呂羽山波宇志別神社について
保呂羽山波宇志別神社(ほろわさんほうしわけじんじゃ)について調べて見ました。
調べると、本殿、里宮、神楽殿とあり、境内にあるものではないということが理解できました。ただ神楽だけ撮影でも成立しますが、これは関係した場所も含めて、全て記録したいということも考えて現地まで行くことにしました。
保呂羽山波宇志別神社神楽殿
まずは、ここから拝見します。
保呂羽山波宇志別神社の創立は縁起によれば奈良時代中ごろの天平宝宇元年(757)と伝え、延喜式神明帳に記載される県内屈指の古社である。本殿はここか ら4キロメートルほど西方にある標高438メートルの保呂羽山の山頂に鎮座する。
神楽殿はかつては弥勒堂とも本宮とも呼ばれ、大友家と守屋家が両別当として永く守り伝えてきた。毎年5月8日の例祭では、湯立神楽の神子舞が行われている。
建立年代は室町時代の末ごろと考えられるが、太い柱や巨大な舟肘木や桁など、簡素で雄大な構造は古代建築の風格がある。形式は両流造という珍しいもの で、木材は主に杉を用いており、内部の柱は直径52センチメートルもある。
屋根は杉の手割り板を用いたこけら葺である。内部は背面寄りを三室に間仕切り、桃山時代初めの天正12年(1584)の墨書のある大規模な厨子を備えている。この厨子の壁板は鎌倉時代初め(1200年前後)に製材された杉材を用いているこ とが判明し、前身の建物の木材を再用したことが考えられる。
平成2年から4年にかけて解体修理が行われ、建立当時の姿に復原を行ったが、軒から上方と側面の妻飾りの破風や懸魚は江戸時代初めの寛永14年(1637) 修理時の形式となっている。
神楽殿は室町時代の建物として貴重なものであるが、桃山時代に鎌倉時代の木材を再用して厨子を造りくわえ、江戸時代に軒と屋根の改造を行っている。
しかし、その姿は平安時代風の雄大さを保っているなど、建物自体に数々の歴史的経過を秘めている。また神社は奈良時代からの由緒を持つが、ハウシワケ という不思議な呼称はその起源を先史時代にまで導く響きがある。
ここ千数百年の壮大な歴史物語の空間への入り口である。
参道案内より
一般的にこの場所は、神楽を行う「神楽殿」であります。神楽殿も兼ねた神社のような所です。拝殿のような施設であります。
何とも重みのある建物かと思いきや、重々しい感じではなくシンプルという感じのする神楽殿でした。室町時代の建物として全国で六棟しかないと云われております。
ここの場所は「神楽殿」ということもあり、大事にされている場所でもあるようです。
保呂羽山山頂のある本殿を目指す
さて次は、本殿のある保呂羽山にある波宇志別神社(ほうしわけじんじゃ)も写真に収めておかなければと思い、保呂羽山波宇志別神社の登山口から調べておいたので、行ってみることにしました。当日は天気もよかったので、明日以降どのような天気になるのかわからないということもあり、取りあえず本殿を目指してみようと思いました。
ネットで登山される人や地図を見ておいたので、スムーズにここまで来ました。さて、天気を考えてもとりあえず行っておいた方がかもと思い登山口のある駐車場まで一気に来ました。
秋のシーズンで、周辺には誰もいませんし駐車場にも1台も車がありません。こうなることはなんとなくわかっておりましたが、一人で登るという気持ちを考えても、少し不安だなと考えるのが普通でしょう。知らない土地の初めて来る山に一人でということを考えても、無謀ですがカメラマンの悲しいサガで、「関連した場所を収めて帰りたい」と感じて現地に早めに入りましたので、行けないと感じれば戻ればいいという感じで登りました。
登山口の看板を見つけました。看板には、
山頂には、「波宇志別神社本殿(はうしわけじんじゃほんでん)」がある。この神社は、奈良時代天平宝字元年(七五七)創立と伝えられ、「延喜式髪名帳」に載る式内社である。波宇志別神とは、農業の神様だとも言われている。
仏教が広まると、神仏習合の教えから、この山は山伏が修行する「修験の山」となった。 江戸時代、秋田藩主佐竹氏は、保呂羽山に対する信心が厚く、この神社に参詣した。
大森町屋敷台から保呂羽山に登る参道は、「表参道」と呼ばれた。
その頃、保呂羽山は、秋田藩八沢木村と亀田藩羽広村との藩境にあったので、「境界争い」が百年以上も続いた。
文化十年(一八一三)、両者が立ち会い、「境塚(さかいづか)」を十四ヶ所築き、争いは幕を閉じた。
駐車場近くの「蟹沢頭の境塚(かにさわがしらのさかいづか)」もその一つである。
と記してあり、「修験の山」というのにいつも何らかに行っています。またか・・・と感じますがそれも宿命です。
いよいよここからスタートです。保呂羽山の入り口です。
おおよそ、10分くらいで、狭い山道になります。第二の入り口です。
気持ちが良く、曇天から晴れてきました。ああ、やっぱり今日登って良かったかもしれないと感じつつ、一人山道を登っていきます。
太田神社の山道よりもなでらかな坂道です。7〜8分も歩いた所に、お堂が見えてきました。
下居堂(おりいどう)という名前らしく、お堂の額の名は通称「普賢堂」と記してあります。
ちょうどいい紅葉を眺めながらしばらく歩くと、ちょっとした傾斜に当たります。
クサリも付けられております。太田神社の最後の90°の絶壁をクサリで登ることを考えれば、大丈夫な方です。
本殿到着
標高438メートルの保呂羽山の山頂に無事に到着しました。参拝を行い、無事に来れたことに感謝です。天気も雲が多いですが、時たまに晴れてきており、清々しい気分です。
立派なお社です。手前の木も大きく、ギリギリまで下がって撮影しております。もう後ろは道はありません。黄色い葉が、季節を演出しており、天気もよくなりました。
おおよそ、ゆっくり登って1時間くらいで行けました。紅葉も綺麗だったので時間を感じず登れました。しばらく過ごした後、下山します。
行きはよいよい、帰りは・・・
下山は、もと来た道を下りました。本当は、違うルートがあるようですが、もう一度美しかった紅葉を見たいと思い、もとの道を戻りました。
クサリのある場所で、道なき所にアクションカメラを落としてしまう惨事になってしまいました。
登山から戻るまでを動画で公開します。動画はリュックに付けて撮影しており、デジタルカメラでの写真の撮影もしており、時折水平が取られていない時もあります。
動画は、こちら
落とした瞬間、「カメラは取れない所にいったのでは?」と思い諦めて見て見た所、姿を見ることができる場所にありました。もうこの時点ではカメラ惜しくてよりは、データの方が大事です。貴重な回転映像を諦めきれなかった。
アクションカメラを落とした場所の参道より水平の位置に行き、傾斜のキツすぎる所を慎重に歩いて取りに行って無事に回収できました。
少々手間がかかりましたが、無事に下山いたしました。
保呂羽山波宇志別神社本殿 まとめ
修験の山ということもあり、登るにも登山するような服装で行くことが必要です。あとでわかったことですがどうやら熊もよく出るようなので、ご注意ください。一人でここまで行けたことが何よりでした。貴重な体験をいたしました。
この次は、霜月神楽の取材です。