もう全国的に有名になりつつある、木古内町佐女川神社の寒中みそぎの取材も私にとっても修行の一つになりつつあります。特に今年の気温は厳しく、北海道にも大寒波が来て、前日(1月12日)には、私の住む北斗市で-19℃にも下がり、作よりも条件が厳しい中のこの「寒中みそぎ」を迎えました。
今年は、参籠報告祭を取材出来ました。
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佐女川神社寒中みそぎ祭 参籠報告祭前
木古内町 佐女川神社
参籠報告祭前の少し緊張した雰囲気での1枚です。今年もテレビの取材があり、全国的にオンエアされるということになるでしょう。
行修者
1月11日のテレビ朝日「トリハダ[秘]スクープ映像100科ジテン」で、寒中みそぎの模様の映像を提供しました。
関係者も多く見られたようで、開催前にオンエアされてよかったです。昨年、あまり良くないおもちゃカメラで撮影しました。
寒中みそぎ祭のいわれ
この寒中みそぎのいわれをあらためて見ると、下記の通りです。
「寒中みそぎ」が始まったのは1831年。
この年、神社守の夢枕に「御神体を潔めよ」とのお告げがあり、目を覚ますと寒気肌さす1月15日の早朝でした。神社守は直ちに真下を流れる佐女川(さめがわ)の氷を打ち砕き、身を切るような冷水で自身を清め御神体を抱いて海岸に臨むと、河口に大鮫が波に打たれ、その背中の上に美しい白衣をまとった女性の姿が見えました。
「あぁ、聖なる神の使者」と信じ、御神体を幾度となく沐浴し、ふと見ると女性の姿は見えず、大鮫は川の上流へ上がり小さな沼に消されたといいます。
その年から、豊漁豊作が続いて村は大変賑わったといわれています。
以来、行修者と呼ばれる4人の若者が1月13日から佐女川神社に籠もり、昼夜問わず真水で何度も自身の身体を潔(きよ)め、毎年1月15日に別当・稲荷・山の神・弁財天の4体の御神体を抱き、厳寒の津軽海峡に飛び込み、その年の豊漁・豊作を祈願する伝統行事として引き継がれています
木古内町ホームページより引用
このみそぎを行う者を「行修者」と言っています。行修者は、未婚の男子で4年務めなければなりません。
初年は弁財天、2年目は山の神、3年目は稲荷、4年目は最高責任者・別当を務めて終わります。
佐女川神社寒中みそぎ祭 参籠報告祭〜水垢離へ
参籠報告祭が行われ、いよいよ今年はじめての水ごりが行われます。最初の水ごりは正装での水ごりです。正装とは、ふんどし姿の事を云います。大勢人の集まる時だけ、正装して水ごりをしています。最近は、そのようにしております。
参籠報告祭
水ごりに向かう行修者
最初の水ごり
これから厳しい荒行を続ける行修者で、今年で終了の別当の表情も段々と引き締まって行く様です。
水ごり終了後の別当
たび重なる水垢離
これ以降、正装はされずパンツでの水ごりでした。本日も雪が降り積もりました。風もあって行修者には、本当に厳しい年なのではないでしょうか。
神社の本殿から出て階段の真ん中は、「神様の道」でありまして行修者以外は、入れない道であります。
水ごりに向かう
水ごりを受ける稲荷
最初に行修者が務めるのは、弁財天です。弁財天は、来客を神前まで連れて行き拝礼の案内をしたり、行修者の炭の調整をしたりする仕事が見えました。
水ごりを受ける弁財天
水ごりの中で厳しいのが、「ちょろちょろ」であります。水ごりは、桶の水を行修者に掛けるのが普通ですが、この「ちょちょろ」は、読んで字の如く、少しづつ行修者に掛けることを指します。雪が降っていたり、風が吹いていたりすると非常に厳しく、震えが止まらなくなります。
ちょろちょろ
今年の稲荷は、素晴らしいです。昨年よりもたくましくなった気がしました。何度も水ごりを行い、表情も別人の様でした。
水ごりする稲荷
夜遅くなると、諸先輩が魅せてくれます。模範というか、見せつけというのか、諸先輩が現役の行修者を連れて水ごりするというのが、数度見ることができます。以前このブログにも紹介した戸沢さんが、手伝いに来ていて、深夜に行修者の山の神と弁財天を連れて、水ごりをしました。その様子は、当時の戸沢さんのままでした。
水ごりするOB
今年は本当に気温も厳しい中、行修者は定期的に水ごりをしていました。素晴らしい模様です。水ごりだけではなく、あまり見せる事がなくなっていた「ちょろちょろ」も多く行っていました。
ちょろちょろを受ける山の神
平成24年度 参籠報告祭の動画
参籠報告祭の流れを動画にしました。早々にアップしましたらアクセスを多くいただきました。寒中みそぎに興味・関心が多い証拠ですね。
深夜まで水ごりが行われた様です。深夜1時半まで付き添っていましたが、私にも限界がありました。
明日にも向かい、水ごりの模様を取材します。
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