2017年7月24日取材しました
昨年は120年の年で、今年も訪問させてもらいました美瑛町・美瑛神社宵宮祭「那智・美瑛火祭り」です。今年は渡御祭まで滞在することが出来ずに、宵宮祭のみの取材です。
この取材も数年に渡り記録し続けてきた「北海道の祭り」です。結びつきが良く出ていて、これからも担い手の問題もありと継続していって欲しい祭りであります。それを見続けることも大切だなと感じずにはおれませんし、行けなくとも定期的に行くことでしか記録する側は思います。今年も「火祭り」の完全取材が出来ました。
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【那智・美瑛火祭り】火祭奉仕者の禊ぎ
禊ぎ
まず行われるのは、奉仕者の禊ぎ(みそぎ)です。道南でよく見る禊ぎは、木古内町寒中禊ぎです。行修者と呼ばれる四人が、海で御神体を清めるために禊ぎを行い身体を慣らします。ここの禊ぎは、神道式の禊ぎを行います。
「禊ぎ(みそぎ)」とは、
身に罪や穢(けが)れのある者、また神事に従事しようとする者が、川や海の水でからだを洗い清めること。
禊ぎ
禊ぎ
禊ぎの後は、祈願祭並び火きり神事、松明清祓が行われます。
【那智・美瑛火祭り】祈願祭並び火きり神事・松明清祓
拝殿にて祈願祭並び火きり神事・松明清祓が行われました。祈願祭(祭式)のあと、火きり神事が行われます。
代表者が、火をおこしていきます。早い時は早いのですが、昨年よりも早めに火がおこせました。
火きり神事
火きり神事
この火を小箱に移して、十勝岳に向かい、神事が行われます。
なぜ美瑛町に「那智の火祭」なの?という素朴な質問にたどり着くと思います。那智・美瑛火祭実行委員長の堀内俊彦さんにお話を聞くと、
昭和63年(1988)12月の十勝岳の噴火で、美瑛町は十勝岳の西麓に位置するため、町内の一部地区の住民は避難を余儀なくされました。翌春、避難命令は解除され、住民が戻ってきたものの町は沈滞ムードに包まれていました。そこで美瑛に活気を取り戻そうと住民有志と美瑛神社の宮司様が立ち上がりました。美瑛町の歴史を遡ると、町の基礎を築いたのは明治29年(1896)に和歌山県東牟婁郡那智勝浦町から入植してきた方々でした。美瑛神社は、入植者が故郷の神社から御分霊を授かって建立した小祠がルーツです。改めて町の歴史を振り返る中で、町おこしの祭りに美瑛町のふるさとともいえる那智勝浦町にある熊野那智大社の「那智の火祭」を開催してはどうだろうかというアイデアが生まれてきました。那智の火祭は日本三大火祭りのひとつに数えられる有名な祭りです。当時の熊野那智大社の宮司様と那智勝浦町町長にご相談したところ快諾していただき、「那智」の名前も使用することも許していただきました。そして平成元年、那智・美瑛火祭の第1回が十勝岳の鎮静と安全、美瑛町の発展を祈願して行われました。以後、恒例行事として毎夏開催することになりました。
祓い清められた松明に、最後の準備を行います。
【那智・美瑛火祭り】十勝岳鎮静祈願祭・採火式
昨年の十勝岳は快晴で、山に雲がかかっておらず稀な天気でした。今年は、少し雲がかかっております。
十勝岳鎮静祈願祭準備
十勝岳鎮静祈願祭
祈願祭が終わると、採火式にうつります。火きり神事でおこした火を小さい松明に移して、それを持って神社まで戻るということです。火をうつすにも、十勝岳は強風が吹いておりまして、火をうつすにも一苦労です。
採火式
採火式
採火式
無事に採火式も終了し、夕方の宵宮祭を待ちます。
美瑛神社宵宮祭から丸山公園へ
時間になると、拝殿にて宵宮祭が行われます。神事が行われ、御神楽奉納されます。
宵宮祭が行われている間、奉仕者は白装束に着替えたり、準備に追われます。
準備が終えると、あちらこちらで記念撮影が行われておりました。横から撮影させてもらったりとしていると、メインで撮影している人がいなくなり、代わりに撮影させてもらいました。
祭式が終わるとすぐに、神職と奉仕者は、松明を持って丸山公園へ向かいます。
重い松明をかかえて、丸山公園へ登ります。丸山公園での点火式は、半纏を着ている人しか入ることができません。今年も半纏をお借りして、ここまで入ることを許してもらっています。
一同揃うと、宮司が各松明に声で「エイ!」という気合を入れます。それからの点火になります。
松明を持ち街を練り歩きながら神社に向かう
火がつくと、「ホーリャ、ホーリャ」と掛け声をしながら、公園を降りていきます。公園を数回周り、町内を練り歩いていきます。
だいたい、神社まで到着することには松明はだいぶ小さくなっており、神社拝殿前に松明が持ち込まれます。
早々に各々もう一つの松明に火をつけ始めます。
神社境内を練り歩く
もう一つの松明は、神社境内をなり歩きます。この頃が祭りのピークを迎えます。
太鼓が大きく打ち鳴らされ、奉仕者は「ホーリャ、ホーリャ」の掛け声で、観客も「ホーリャ、ホーリャ」と掛け合いをしながら神社境内を松明が短くなるまで練り歩きます。
途中に、松明を打ち形を整えます。この火花が散り、近くにいても熱いです。たまに素手につくのですが、非常に熱いです・・・ちょっとヤケドします。凄く、火花が綺麗です。
炎の具合を写真で撮るにも難しいです。
松明が短くなると拝殿前に集まってきます。
そして、その松明の炎をまた消えないように小箱に入れてこの一連の行事は終了です。
この後、実行委員長の堀内俊彦さんの挨拶されました。この祭りを行った当時の奉仕者は、この祭りを支える方にまわっており、堀内さんは2代目です。
この祭りを行う人一同の集合写真を撮り、今年の那智・美瑛火祭りが終了となります。
まとめ
この祭りの醍醐味は、松明の炎です。美瑛の人の十勝岳鎮火と地域の賑やかさを重なり合い、このパワーを感じる祭りは、行った人でした体感出来ません。
丘のまち美瑛町で、風景がメインとなっておりますが、このような素晴らしいお祭りをしているのです。
平成元年から行われているこの行事は、来年で30年の節目です。末長く行われる「火祭り」であるように、来年も取材に行きたいと思います。30年という実績を積み、これからも続ける努力をしていくことでしょう。期待しております。