姥神大神宮渡御祭の際にいつもお世話になっている新出家。
私の同級生の親の実家にあたり、私の笛の師匠でもある方の弟さん(新出篤さん 享年64歳)が、2017年5月6日に亡くなられたということです。(葬儀は終了したということです)祭りの時はいつも家に泊めていただき、快く祭りのことを教えてくれました。
いつも祭りの時期にお邪魔していましたが、近年身体の調子が悪いようで、2年前から祭に参加されずにずっと見ているだけでした。いつもでしたら、笛の師匠の側で兄弟の共演を行なっていて、「新出笛吹き二兄弟」(本当は三兄弟)を見ることが出来たのはもう3年前で最後でした。
私が笛を習い、初めての祭り参加の時は、お囃子の「立山(たてやま)」まで覚えることができず、まごまごしていると、師匠と篤さんとで、二人掛かりで「立山(たてやま)」を教えていただきました。
上町に行く檀家にもご一緒させてもらい、祭りのことをお話しさせてもらいました。本当に祭り好きで、祭りのことで兄弟で意見が異なり口論になったりしており、体の調子が悪くとも巡行に、酸素ボンベを片手に巡行を見ていました。
3年前、巡行が終わった中歌の家で、ふと笛を持って、
「吹けなくなった。息が続かない・・・」
と、3年前の祭りでポツリとおっしゃっていまして、本当は吹きたかったんだろうなぁと思っていました。
それでも、ボンベを引きながら蛭子山の巡行に一緒していました。
いやはや、祭りという中に入るといろいろなパワーを貰えるのだろうなぁ
と、感じてしまいます。
ふと江差町に行った際に、会った時は笑顔で、
「おっ、また来たなっ」
と祭りの時に、笑顔でおっしゃっていただいて、祭り以外でも江差で会った時は、
「おっ江差に来ていたのか?」
と声をかけてくれまして、ありがたかったです。
新出篤さん、ありがとうございました。祭りの話、もっと聞きたかったです。
生粋の祭り人で、どうにも居なくなることを考えると・・・寂しいですね・・・
悲しいですが、このようにお別れする人も多くなって来ております。
ただ悲しくなるのではなく、その人のことを思い出すことが大切なのだと、聞いたことがあります。確かにそう感じます。絶えず、思い出してあげることですね。そして、言霊で発することも大切ですね。言葉で言えずとも、思い出すだけでもと考えます。これからも祭りになると、思い出す人になりそうですね。楽しかった祭りに多分見に来ているであろう、篤さんのことを思い出して、思い出話をしようとも思います。
篤さん、お疲れでした。
今年は、篤さん追悼の笛吹きになりそうです・・・