毎年江差町で行われている、郷土芸能の祭典でありますが、ここ3年ぶりに取材してみました。
「檜山管内」というタイトルに入っているので、近郊の郷土芸能が見られました。
種類としては、太鼓、舞踊、民謡、三味線、芸能(鹿子舞等)があり、3年前は江差だけで行われてきた郷土芸能祭とは、コンセプトを変えて行われていました。
私自身の会場入りが遅れてしまい、太鼓は見られませんでした。
今回注目したのは、乙部町の丹波節でありました。平成に入り、踊りを添えて復活しましたとパンフレットに書いてあり、貴重な節に新たな歴史を刻み伝承していこうという気持ちを感じました。
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江差三下り
江差三下りは、江差追分節が完成する過程の元唄で追分節の母体であると云われています。
信州馬子唄(小諸馬子唄・馬方三下り)が越後路に入り、越後の船頭衆や舟子によって唄われ、山の旋律から海の旋律に編集され(越後追分)、されに日本海を北前船によって運ばれ、江差に伝わったと云われます。
江差の繁栄の中で主として、浜小屋や茶屋で唄われ、女(あやこ)等によって遊里の唄、座敷唄となり、三絃の三下りの調子として完成し、伝承されてきました。
※解説は、パンフレットから引用しました。
江差三下り
江差五勝手鹿子舞
椴川山・古櫃山・五勝手山のアスナロヒノキの伐採によって、山神を中心とする信仰と結合して発生したもので、「マサカリダテ(初斧入・初山入)」の神事や、山神祭、「切上げ」の神事、その他新年や祭事祝賀に鹿子舞を修行し、悪を祓い、福を招き、安全操業・五穀豊穣・海上安全・豊漁万作を祈願して今日に伝承されてきました。
江差五勝手鹿子舞
五頭立ての構成は、青鹿子(あおじし)・赤鹿子(あかじし)・黒鹿子(くろじし)・白鹿子(しらさぎ)の雄鹿子四頭に一頭の雌鹿子と笛・太鼓・ササラの囃子方と親父(紋付羽織袴)と親父と呼ばれる歌い手からなります。
鹿子舞はまず「親父褒め」の神事で始まる。「親父褒め」には特定の褒め詞はなく、その時の神事対象により、例えば「マサカリダテ」ならば安全操業の願いを込め、新宅祝いなら屋形褒めというように「親父」の機知に富んだ裁量によって褒め詞を奏上するもので、その良否によって鹿子舞の品格を判断するとまでいわれるものだそうです。
江差五勝手鹿子舞
江差追分踊り
江差追分踊りは、文化文政(1804-1829)時代に、座敷踊りとして芸子の間で踊られその由来は、アイヌ同士が交歓の際に、海辺に住むアイヌが唄を歌い、山の女アイヌが、熊祭りの振り付けで踊ったとの伝承があります。慶応4年(1868)歌舞伎俳優の市川弁之助が江差で興行した際に、彼の振り付けで櫓を押す形や、カモメが飛ぶ仕草を入れて、それが伝承されて現在に至っているようであります。
江差追分踊り
江差追分踊り
江差餅つき囃子
昔の江差は年越しの餅つきは、実に大変な量をついたそうです。餅つきの日取りはその各家の年中行事として決まっていて、その日が近づくと、使用人・出入職人に新調の衣装を身を清め、芸者の三味線・笛・太鼓等に合わせて、のど自慢の唄を合いの手に景気よくつきあげました。この餅つきの様子を芸能化し、慶事に演出して伝承されています。
江差餅つき囃子
江差餅つき囃子
まとめ
3年振りに見させてもらいましたが、これだけの郷土芸能を一度に見られる機会はなにので、これからも継続させて欲しいと思います。もっと欲を言えば、環境を変えて見たいなと感じられます。例えば、江差五勝手鹿子舞のいわれから、ヒノキの林の中で行われるのが1番いい環境であります。ホールで見るのもいいのですが、いわれに合わせて見せるのは、その芸能の最高の場であると思われます。移動しながら見せる郷土芸能も面白いと思います。
写真で紹介出来なかった、乙部町丹波節を入れた映像をダイジェストで公開致します。いつもの通り、カメラ固定で撮影されていますので、雰囲気だけご覧下さい。