北斗市茂辺地にある矢不来天満宮は、丘の上にあるお宮である。
北海道の歴史にも登場する茂別館といって1443(嘉吉3)年、津軽の管領・安東太郎盛李が南部義政に攻略され、領地を追われ、蝦夷地に渡った時、館を造ったことに始まります。1457(長禄元)年5月、コシャマインの乱の時、道南の10館は相次いで攻め落とされましたが、この茂別館と上ノ国町・花沢館だけが館の強固さからのこったといわれています。その茂別館跡に、建てられたのが矢不来天満宮である。土地の名前から、矢が届かない場所に館があったことから矢不来という地名がついたとか。
由緒は、
嘉吉3年安藤盛季矢不来に舘を築く。長禄元年アイヌとの戦いに稀瑞を感じ舘主下国安藤式部大輔安部家政が家臣池田半太夫源輝元に命じ神勤させた。爾来、守護神として崇敬す。貞享5年下国儀季造営、元禄14年、下国要季造営。同年、拝殿を吉川六兵衛が造営、宝暦2年下国細見が再建、明和3年下国但見安部季政が再建、天明3年7月下国勘由が再建、元治元年再建、明治8年村社に列す。明治15年下国安芸が茂辺地に遥拝殿再建、明治28年遙拝殿移転、大正6年矢不来より茂辺地に本殿を移転、大正6年神饌幣帛料供進指定。昭和3年上磯町字矢不来138番地に移転、昭和43年社殿を神明造に改築する。
昨年もお邪魔させてもらったお宮でありまして、感謝しております。来年は大祭の年なので、楽しみであります。
写真は、鈴上げ。最近は巫女さんが舞う姿が多かったせいか、少し新鮮に見える。
鈴上げ
利生舞は、宵宮祭のみ行われる舞である。二羽散米舞(にわさごまい)の省略した舞であり、基本的な動きは二羽散米舞に似ている。
二羽散米舞