今年も「あっ」問いう間に、このシーズンになりました。江差町の姥神大神宮渡御祭です。
このブログも記録を中心にしておりますが、写真表現にもチカラを入れていこうと思われるので、作品を撮りにと思う反面、そんなに気を入れず、江差の人に会いに行くような気持ちで、写真を撮って行く事にしました。
毎年、同じような写真を紹介してもしょうがないので、趣向を変えて行こうと思います。
渡御祭の流れを知りたい方は、過去の記事を参照下さい。
今年は、9日の宵宮祭には行く事ができなかったので、10日の下町巡幸からの参加であります。
まずは、中歌町にある高校の先生の実家に赴き、ご挨拶をして宿の確保をしました。
姥神大神宮に行き、参拝し御神酒を渡して下町巡幸の準備を撮影しました。
出発式
猿田彦の下駄
いつもの顔に出会いました。神輿と云えば、長谷川さん。この人の「ヤイヨイ」を聞くと、江差の姥神さんに来たんだなと感じます。ハクチョウを着ている担ぎ手さんは、北大の学生さんで他の所でお世話になりました。
いつもの顔
いつもながら松寳丸は、北海道有形民俗文化財に指定されている立派な文化財を動かしております。他の山車(ヤマ)に舵が付いていますが、松寳丸は付いておりません。曲がるにも一苦労です。人の話から聞くと、必ず北海道職員の人が付いて文化財を見守っているようです。
松寳丸の舵
いつもながらお世話になっている、高校の恩師であり、蛭子山の笛吹き部長であります。兄弟揃ってのショットです。笛の音色に引かれてしまいます。
蛭子山の笛吹き兄弟
いよいよ、神社行列の出発です。
様々の神社を拝見しておりますが、姥神大神宮の猿田彦は、面を上げたままの巡幸しています。昔の写真を見ていてもそのようにされているようです。
神社行列
神功山の太鼓を見ると、叩き手が着物を着ていました。昔の写真でも、祭りの時には着物を着て巡幸していたと聞いていました。着物での巡幸は味があります。江差の人は、昔の習わしを大切にして祭りを盛り上げようとしております。この気持ちは、大切にしたいですよね。
神功山
祭りに子供の力が発揮されます。笛、太鼓、山車(ヤマ)を引くにも子供らのチカラが大きいです。
下町巡幸 子供たち
子供と松寳丸
豊栄山
神輿がいにしえ街道をゆきます。この街道の雰囲気が好きです。古い家と神輿のショットもいいもんです。
この街道には、電柱がありません。電線は地下に埋めているそうです。
神輿と古民家
神輿
神社行列が過ぎると、山車(ヤマ)が神社行列の後ろを盛り上げます。
新栄山
江差の子供たちは、お祭りを通して上下関係や祭りのしきたりを自然に勉強します。このような環境が無くなりつつある今は、貴重な体験だと思われます。お祭りの楽しさを知ると、大人になっても参加するというスタイルが完成されます。このような風習が無くなった所で、これを実行するまでに、親子三代までの時間がかかります。継続はチカラなり・・・
山車(ヤマ)を引く子供
笛を吹く
巡幸する義公山
巡幸する誉山
巡幸する源氏山
各場所では、ご祝儀をもらいに来た人やお客さんを労うのに、飲み物やご馳走を用意して待っています。
一年に一度顔を合わせたりすると、挨拶の声が聞こえます。知らない人でも、山車(ヤマ)のはんてんを着ている人中心に飲み物を勧めます。
江差の山車(ヤマ)では、「切り声」を上げます。ご祝儀が出る家に入り江差の沖揚げ音頭の一部を唄い、家の繁栄や家内安全を祝います。にしん漁に活気に満ちた街らしい風習であります。
数年間取材していると、切り声を上げる場所がわかってきます。昨年より前から、中歌町のホンダさんの車庫で聞く切り声は、とても良いのでここで切り声を撮影させてもらいました。
ありがとうございました。
笹山稲荷神社の旅所で一休みし、愛宕町方面に神社行列は進みます。
行列の先頭
江差の人は、家の人が出て神輿を迎えます。
行列を迎える人
猿田彦が止まると、行列が止まります。道先案内人でありますので、礼儀に反している家や何かがあると、その場に留まります。
神社行列
ふと見ると、人形を飾り、行列を迎えている所をみつけました。数年に渡り取材しておりますが、姥神大神宮渡御祭には、新しい発見があります。人形を見させてもらいました。
人形
愛宕町の旅所にて、担ぎ手の休息です。
休息
日が落ちると、山車(ヤマ)も明かりが灯され賑やかになります。いにしえ街道は、昼・夜2回山車(ヤマ)が通ります。いいものです。
山車(ヤマ)が神社に集まると、宿入れの義が行われます。神輿の担ぎ手の見せ場でもあります。
最後に行われる「切り声」披露は、義公山(ぎこうざん)です。動画にてお楽しみ下さい。
明日は、上町巡幸です。2日目は、新地でのクライマックスを迎えます。
疲れながら、今日撮った データをバックアップしながら寝ました。明日の取材に続きます。