渡島地方の松前神楽

松前町清部地区 清部八幡神社 門払い、神楽披露

謹賀新年
本年も「良き候松前神楽」をよろしくお願いします。
今年はできるだけ取材を継続しようと思っております。


正月を迎えて、元日。
松前町清部地区で行われる門払いと神楽を取材させてもらった。昨年は、門払いを取材できなかったので、今年は門払いから取材させてもらった。門払いとは、町内の各家をまわり祓い清めて歩く神事である。
この日は、終日強風と吹雪という最悪の天候であったが、門払いは行われた。このような天気なのは、数年から見てもあまりない光景なのだそうで、昔はこのような天気だろうが門払いに出ていたらしい。
午前8時過ぎに、笛・太鼓が鳴り出して、出発された。
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清部八幡神社を出発する門払い行列
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清部八幡神社を出発する門払い行列
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行列の先頭は、塩打ち、御幣2人、獅子と組になり、各家の玄関前にまで行き、玄関先を塩で清めて、その後御幣を振り、獅子頭が高らかに上げられ口を開けて尾を3回回していく。
門払いの笛・太鼓が鳴り出すと、近所の人がお米とご祝儀を持って玄関から出て迎える、留守の所や不幸が無かったところは玄関前で祓い清められる。行列の最後には、リアカーが付いてきてそれらを回収するというのをこの地区を隅々回るのだ。
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塩で玄関前を清めて
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御幣が振る
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獅子で清めえる
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各家を回る行列
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強風と吹雪の中ご苦労様です
門払いが神社に戻ってきて、休憩をとり、神社内で神楽奉納となる。
少しだけ、この清部地区に伝わる松前神楽について説明したい。

明治3年に舞楽の為に組織された現在で言う青年団のような団体が作られ、はじめて組織され、神社により披露されたという記録されている。この舞楽を指導したのは、当時の徳山大神宮社主・常磐井榮太氏や、江良八幡神社社主・佐々木二見氏らであり、松前藩の庇護の元に怨霊退散、国土安穏、五穀豊穣、天下泰平の祈願として神前にて演技されていたが、後に招待神楽として、福山城内で演技されるようになり、やがて里神楽として清部地区住民により受け継がれてきたものとされていいる。

※清部松前神楽保存会ビデオにて引用
とされているように、この地区で行われている松前神楽は、青年団的な組織が松前神楽を奏上されている。つまり、神職が行う訳ではなく、この清部地域の人達によって伝承されてきた神楽であると言えよう。
この組織に入るのも、当時の話では、長男しかこの松前神楽を行う団体に入れなかったとされていた。清部地域の人口の低下により、現在は希望であれば長男に関わり無く、これを行うことができるようだ。
清部で伝承されている松前神楽は12座である。
祝詞舞
福田舞
庭散米舞
兵法舞
山神舞
鈴上舞
三番叟舞
千歳舞
翁舞
神遊舞
四箇散米舞
十二の手獅子舞(五方舞 柱固め舞 面足獅子舞)

荒馬舞(あらうままい)や、注連祓舞(しめはらいまい)、鬼形舞(きがたまい)、獅子舞でも、御稜威舞(みいつまい)や獅子の鈴上げ、等は伝承されていない。話を聞くと、この12座だけの伝承であるとのことであった。
楽(がく)に関しては、各保存会にある楽(がく)では無く、単調な楽であり、函館・松前・福島の松前神楽を見ている方には全く異なる楽(がく)と思われる。各舞いの要所を押さえた楽(がく)であると思われる。
最初に祝詞が奏上され、行われるのは、榊舞(さかきまい)である。
祝詞舞(のりとまい)、榊舞(さかきまい)、弊帛舞(みてくらまい)ともいう。
その神社の宮司が朝夕玉垣内に参進して、神域を祓い清め、神拝して御幣を奉るという。神職の神明奉仕の姿を表した舞いである。
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祝詞舞(のりとまい)
福田舞(ふくだまい)、跡祓舞(あとはらいまい)とも云う。跡祓舞(あとはらいまい)は、宵宮祭で獅子舞を行わない神社で、一番最後に行うことから跡祓(あとはらい)とも云う。四方の神々を拝し、祓い清めて干ばつ、暴水、火難の災いを除き、五穀豊穣を祈願する舞いである。
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福田舞(ふくだまい)
二羽散米舞(にわさごまい)、庭散米とも書き、鳥名子舞(とりなごまい)とも云う。
鶏は天の岩戸開きに暗黒の世より光明の時を告げ、世の始まりに地を踏み固めた瑞鳥であるとされています。雌雄二羽の鳥形の冠を頭に冠し、羽根には雄は瑞雲つまり天を表し、雌は海の波を形どり地を表して、雌雄親しみ和合して、世の中が平和である様を表し、神の恵みの米をまき散らし、千五百秋の瑞穂の国の五穀豊穣を祝う舞いである。
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庭散米舞(にわさごまい)
昨年、あらためてわかったことが、清部の庭散米舞(にわさごまい)は、他の保存会では行われない舞い方で、行われている。実に優雅で、味わいのある舞い方に驚いた。今年もこの素晴らしい庭散米舞(にわさごまい)を見せてくれた。
兵法舞(へいほうまい)は、一人は狩衣、 烏帽子に白襷をかけ、 狩衣の袖を肩に結び刀を持つ。 一人は鬼狩衣、 白襷、 麻の赤熊毛しやがを被り、長刀なぎなたを持って二人で舞うが、 これは松前家祖武田信広が蝦夷と闘った姿を表現しているといわれる。
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兵法舞(へいほうまい)
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兵法舞(へいほうまい)
奥山の榊葉を持ち山神を表し、海鳥のしぐさを真似て山神にご覧になってもらい、おなぐさめ申し上げるというもの。
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山神(さんじん)
三番叟(さんばそう)は、背が低く、顔が黒く、精力絶倫にして健康長寿、正道徳行の翁が、才智多い子孫に恵まれ自身もまた長寿であることを喜び舞う、家門の隆昌、子孫の繁栄を祝福した舞いである。
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三番叟(さんばそう)
神遊舞(かみあそびまい)、天皇遊舞(てんのうあそびまい)ともいう。
二人の武人が弓矢を持ち、四方の悪魔を退散し、正しい心に返す意味の舞で、松前藩の威徳を内外に示し、蝦夷地鎮定、天下泰平を祈願した舞である。この舞は、松前藩主6代矩広(のりひろ)公の作品だと伝えられている。
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神遊舞(かみあそびまい)
四箇散米舞(しかさごまい)、三品舞、三種舞とも云う。
あまり行われることが少ない舞いであると思われる。4人舞いなので、伝承しているが担い手の問題で出来ない保存会もあると思われる。毎回見れるので、素晴らしい舞いを見せてくれる。通常に行われているのは、松前町でもこの清部地区だけだろうと思われる。
松前ブロック連合会では、お目出度い時、新鳥居や新社務所が建てた等のその神社で、お目出度い時に行われる舞いである。最初が、折敷の手(四角のマスのようなものを持つ)。次は、弓、剣、太刀つ続き、最後は3人で太刀を組んで行われる舞いである。
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四箇散米舞(しかさごまい)
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四箇散米舞(しかさごまい)
十二の手獅子舞・五方舞(じゅうにのてししまい・ごほうまい)
十二回手が変わるので、十二の手獅子舞と言われる云われている。1年十二ヶ月を形どり、獅子幕も十二反使用するを本格とするのである。五方とは、東西南北と正中(真ん中)を祓い固め蝦夷鎮定、国土安穏を祈る様を表している。
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十二の手獅子舞・五方舞(じゅうにのてししまい・ごほうまい)
神社では、9座が行われ、初めてこの清部の松前神楽を見たという、若い元住民の方もいらっしゃっていて、大いに盛り上がった。この後、招待神楽も行われるので、引き続き取材させてもらう。
招待神楽に続く・・・
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