後志地方の松前神楽

せたな町 事比羅神社 宵宮祭 2009

昨年に引き続き、せたな町事比羅神社宵宮祭を取材させてもらった。
私の住む町から、せたな町まで遠い道のりである。今回は、宵宮祭だけの取材であるので、日帰りである。
夕方の宵宮祭に向けて、車をすすめると、雲の状態が悪くなってきた。車のラジオの天気予報から、「明け方まで雨が降り・・」ということを聞いて間もなく、雨が落ちてきた。今日の神楽は大丈夫かな?と感じた。宵宮祭終了後、山車(やま)に魂入れしに会場に行き、松前神楽が行われるので、ダメかなと思われたが、会場に向かう際には雨が上がり、無事に行われることになった。
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せたな町・事比羅神社
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最近、北海道神社庁から由緒を参考にしているので、ここにも引用させてもらう。

瀬棚郡(現瀬棚町・北桧山町・今金町)草創の神社であるが、創立年月は不詳である。天保9年、松前福山唐津内町の平田与三右ェ門が再建している。明治9年郷社に列し、同年12月に本殿方9尺、拝殿間口5間奥行3間の社殿を御造営、以後人家急増し境内の人馬の往来が激しくなり、境内地として適当でないとして明治25年12月6日、総代、祠掌ら7名の連署をもって隣接地に転社を出願。明治28年7月19日許可となり、同年9月10日社殿造営し現在地に遷座した。昭和10年7月28日社殿改築(本殿、幣殿、拝殿、神輿所、神饌所)造営され、今日に至っている。

北海道神社庁より引用
今回行われた神楽舞は、荒馬舞(あらうままい)、三番叟(さんばそう)、三条神楽から「太平楽(たいへいがく)盆舞」、翁舞(おきなまい)、山神(さんじん)が行われた。
荒馬舞(あらうままい)、松前遊(まつまえあそび)、正前遊舞(しょうぜんあそびまい)ともいう。城内神楽の神楽修行の際に、たまたま藩主の機嫌が悪くこれを直さんと考え馬が好きな藩主の為に、馬術の様子を即興的に創り演舞したところ大変喜び、機嫌を直したという。
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荒馬舞(あらうままい)
三番叟(さんばそう)は、背が低く、顔が黒く、精力絶倫にして健康長寿、正道徳行の翁が、才智多い子孫に恵まれ自身もまた長寿であることを喜び舞う、家門の隆昌、子孫の繁栄を祝福した舞いである。
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三番叟(さんばそう)
詳細はよくわからないが、見たままで言うと、おもしろおかしく行われる舞いで、お盆を使い、お盆を落とさず上下左右に動かして行われる。三条神楽の1つである。

北海道神宮に伝わる「三条神楽」は、新潟県三条市の八幡宮から、1890(明治23)年に伝わったものです。円山開拓の功労者である上田前七が、率先して三条神楽を修得し、村内の青年たちにも習わせて伝承しました。

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三条神楽から「太平楽(たいへいがく)」
翁舞(おきなまい)は、面白く背が高く心柔和な老翁が、額にしわがよっても身体堅固で幾星霜を経る間に、身分が高い位に登った姿で、舞中に願意を言葉に表し、息災延命、立身出世を祝って舞う福禄寿の備わった最も目出度い舞いである。
今回は、モノクロにしてみた。
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翁舞(おきなまい)
奥山の榊葉を持ち山神を表し、海鳥のしぐさを真似て山神にご覧になってもらい、おなぐさめ申し上げるというもの。
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山神(さんじん)
ここまでが、拝殿で行われた松前神楽と三条神楽である。
山車(やま)のある場所で、行われた神楽舞は、福田舞(ふくだまい)、鈴上げ、獅子舞・五方(ししまい・ごほう)が行われた。
福田舞(ふくだまい)、跡祓舞(あとはらいまい)とも云う。跡祓舞(あとはらいまい)は、宵宮祭で獅子舞を行わない神社で、一番最後に行うことから跡祓(あとはらい)とも云う。四方の神々を拝し、祓い清めて干ばつ、暴水、火難の災いを除き、五穀豊穣を祈願する舞いである。
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福田舞(ふくだまい)
鈴上げ(すずあげ)、神子舞(みこまい)、乙女舞(おとめまい)とも云う。
天女の天降るさまを舞う神子(みこ)の祝福の舞いである。
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上2枚・鈴上げ
十二回手が変わるので、十二の手獅子舞と言われる云われている。1年十二ヶ月を形どり、獅子幕も十二反使用するを本格とするのである。
五方とは、東西南北と正中(真ん中)を祓い固め蝦夷鎮定、国土安穏を祈る様を表している。
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上2枚、十二の手獅子舞・五方(じゅうにのてししまい・ごほう)
今年も、せたな町の事比羅神社まで取材させてもらった。今年もお祭りも少なくなってきた。もう遠くには、取材にいけないだろう。

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