松前神楽の歴史・特色

松前神楽は、北海道南部地方中心に行われている神楽であります。
およそ500年前に武田氏がアイヌとの戦いを鎮圧し、松前藩の基礎をつくり種々の火狂言や社人の舞を行っていました。
その後、およそ100年後に松前藩の圧迫や過酷な搾取等に対して、やむなく立ち上がったシャクシャインの呼びかけに呼応したアイヌ民族と和人との全面戦争に発展しました。(1669年・寛文9年蝦夷の乱)これをなんとか平定して、松前藩第5代藩主・矩広(のりひろ)によって各神社で古くから行われてきた神楽の演技種目を統一して、城内神楽として隔年ごとに行う恒例行事と定め,延宝二年(1674年)11月15日城内で行われたものがはじまりであります。それ以後、隔年ごとに11月15日に大々的な恒例行事として伝承されてきました。 城内神楽以外にも、松前周辺の神社や箱館の神社でも松前神楽が行われていたようです。その時にまだ「松前神楽」という名称は使われていなく、鰊御神楽、秋味御神楽とも云われていました。

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【「松前神楽」名称について】

正式に記録として、「松前神楽」の名称が使われたのは、文化三年(1805年)に徳川幕府の監察に来た、監察使・遠山金四郎景晋(かげちか)の下問について差し出した答書は、城下七社(神明宮、八幡宮、馬形社、熊野宮、羽黒社、朝間社、稲荷社)のうち稲荷社・佐々木一貫(かずつら)が記したもので、初めて「松前神楽」という名称を使用しています。

【松前神楽の特色】

松前神楽の特色は、「神楽司(かぐらずかさ)」などの神楽専門の者が舞うのではなく、祭典に奉仕した神職が神楽を舞うことと、千歳・三番叟・翁舞などの能舞を取り入れや、津軽や東北地方の山伏神楽・番楽にも影響しており、舞いに表れています。使用する龍笛は、神楽笛として扱われるもので、吹口に近い孔をふさいで使用されます。武家好みの能を主体とした「城内神楽」では、音の弱い普通の神楽笛に満足できなかったものと考えられます。

【指定・その他】

 松前神楽は、昭和33年、北海道無形文化財に12名の者が演技保持者として指定されました。昭和43年には全道的な組織として「松前神楽保存会」が結成され、その後、平成7年に国の「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」に選択され、国の無形文化財の指定を受けるには、尚一層の結束の必要性を計り平成11年、松前神楽保存会を解散し北海道松前神楽保存会(松前神楽函館連合保存会、松前神楽松前ブロック連合保存会、松前神楽小樽ブロック連合保存会、福島町松前神楽保存会)を結成します。
 平成20年4月、無形文化財の最後の指定保持者である木村修氏の死去により、指定解除となりました。平成20年6月、新たに北海道の無形民俗文化財に北海道松前神楽連合保存会(4ブロック)が指定を受け現在に至ります。

昭和33年4月 北海道指定無形文化財に指定。同時に保持者12人を認定。
平成7年12月 国の「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化材」に選択(記録選択)
平成11年6月 北海道松前神楽連合保存会が結成される
平成20年4月5日 最後の保持者・木村修氏死亡により、道指定無形文化財の解除
平成20年6月9日 北海道指定無形文化財に指定。保護団体として、連合保存会及び傘下4団体を明記。

【現在の松前神楽】

明治時代、廃藩置県が行われ「松前藩」は消滅し、当時の神社を司っていた名門三家・白鳥家、永井家、佐々木家は各地に渡り、「松前神楽」は城内神楽をしていた神職により、地元の神社で執り行なわれることになったのではないのでしょうかと推測されます。その後、各地に伝承され南北海道の神社で行われる例祭では、欠かすことが出来ない神楽になりました。この神楽の北限は現在、小平町・鬼鹿地区であります。以前では、利尻島まで伝承が行われておりましたが、担い手不足になり行われていないようです。道南地区で松前神楽の行なえない神職は、神職として認められない程、神楽が盛んに行なわれており、現在でも宵宮祭、本祭で行われる神楽を御覧になられる人も少なくはないと感じています。保存と伝承を神職を中心に行われております。
 
北海道松前神楽連合保存会は4ブロック、松前、函館、福島、小樽の団体からなっており、国指定の民族文化材を目指して活動しています。近年、北海道による松前神楽の調査が再び行われており、最終的な段階を迎えているようです。

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