渡島地方の松前神楽

松前町 松前神社本祭 2010

毎年、取材に入る松前神社であります。
この神社は、松前城(別名:福山城)のある松前公園内にある神社であります。神社周辺にはアジサイが乱れ咲いていまして、春の花見シーズンほどの賑わいはあまり見られませんが、花に囲まれている松前公園であります。
今年の夏は、南北海道ではあまりに日照が少ないようにも感じられ、曇天が続いております。神楽を見るには、あまり天気は関係ありませんが、風景を撮る際には少々困ります。
松前神社の由緒は、

松前家にて当初松世祠を設け信廣公始め代々の神霊を奉斎したが、旧藩臣及び庶民は公の蝦夷地開拓の基礎を築かれた功績を追慕し、松前家にのみ委すべきに非ずとして神社創立の議起り、明治12年以来開拓使に出願して同14年2月8日許可せられ、旧福山城北の丸址を境内地に充て社殿を建立し、武田信廣公1柱の神霊を奉斎して松前神社と称した。大正4年の御大典に際し創立当初の社殿腐朽甚だしきを以て、時の函館支庁長河毛三郎氏慨然奮起し公の頌徳会を組織して神社の興隆を計り、同7年5月6日無格社より一躍して県社に列せられた。同年5月21日神饌幣帛料供進神社に指定せられた。同9年社殿改築に着手し同11年現社殿竣成した。昭和11年昭和天皇本道に行幸の際幣帛料を御奉納せられた。

※いつもながら、北海道神社庁から引用
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松前神社


祭礼が終了し、神楽奉奏となります。鎮釜湯立式(ちんかまゆたてしき)が行われます。
鎮釜湯立式は、行われる神社と行われない神社があります。この鎮釜湯立式から松前神楽であります。三十三座のうち、十二座はこの鎮釜湯立式であります。
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鎮釜湯立式 釜清め
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鎮釜湯立式 湯上
行われた神楽舞いは、弊帛舞(みてくらまい)、神遊舞(かみあそびまい)、千歳(せんざい)、三番叟(さんばそう)、注連祓舞(しめはらいまい)、十二の手獅子舞・五方(じゅうにのてししまい・ごほう)の6座が行われました。
弊帛舞(みてくらまい)、榊舞(さかきまい)、祝詞舞(のりとまい)とも云います。
その神社の宮司が朝夕玉垣内に参進して、神域を祓い清め、神拝して御幣を奉るという、神職の神明奉仕の姿を表した舞いであります。函館と近郊の町で行われる際には、松前神楽奉納となる時、斎主(その神社の宮司)が最初に舞われる舞いであります。
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弊帛舞(みてくらまい)
神遊舞(かみあそびまい)、天皇遊舞(てんのうあそびまい)とも云います。
二人の武人が弓矢を持ち、四方の悪魔を退散し、正しい心に返す意味の舞で、松前藩の威徳を内外に示し、蝦夷地鎮定、天下泰平を祈願した舞であります。この舞は、松前藩主6代矩広(のりひろ)公の作品だと伝えられています。
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神遊舞(かみあそびまい)
千歳(せんざい)は、百千歳の歳を重ねた老翁が、大君より長寿を祝福され、目出度い文箱を賜ったので、喜びの余り、手の舞い、足の踏むところ知らず舞い納めます。身体強健、寿命長久を祝した舞いであります。
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千歳(せんざい)
三番叟(さんばそう)は、背が低く、顔が黒く、精力絶倫にして健康長寿、正道徳行の翁が、才智多い子孫に恵まれ自身もまた長寿であることを喜び舞う、家門の隆昌、子孫の繁栄を祝福した舞いであります。
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三番叟(さんばそう)
注連祓舞(しめはらいまい)、〆引(しめひき)、七五三祓舞(しめはらいまい)とも云います。白扇を四方四隅中央を祓い、真剣を抜き天井に十文字の縄を張った注連縄を切り払い、悪魔退散、国土安穏、千秋万歳を祝して舞われる舞いであります。
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注連祓舞(しめはらいまい)
十二回手が変わるので、十二の手獅子舞と言われる云われています。1年十二ヶ月を形どり、獅子幕も十二反使用するを本格とするのであると云われています。五方とは、東西南北と正中(真ん中)を祓い固め蝦夷鎮定、国土安穏を祈る様を表しています。
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十二の手獅子舞・五方(じゅうにのてししまい・ごほう)
松前公園そばにあるのは、徳山大神宮も松前神楽に関連した神社であります。境内に入ると、松前神楽の石碑があります。いつか行ってみようと思います。

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