函館市内の松前神楽

函館市 山上大神宮宵宮祭

以前にも山上大神宮の松前神楽を撮影させてもらいましたが、このブログをはじめる前に取材していましたので、このブログでは初めて紹介させてもらいます、函館市の山上大神宮であります。
私が松前神楽を取材しはじめて間もない頃に取材をしまして、様々な所に取材をしていると、山上大神宮の宮司さんの舞いを見る機会があり、舞い方から楽までの姿を見ていて素晴らしいと感じていました。
山上大神宮の由緒は、

社伝によると応安年間藤坊という修験者が当地に渡来、亀田赤川村神明山に草庵を結び伊勢神宮の御分靈を奉斎したことに始まる。明暦元年(1655年)5月、尻澤邉村(現在の住吉町)に移転遷座し、箱館神明宮と称した。天和2年現在の西消防署弥生出張所付近に移転し、明治7年、従来の神明宮の社名を、この地の山ノ上町をとり山上大神宮に改称し、明治9年郷社に列せられる。同11年11月と翌12年12月に大火にて類焼、一時住吉町の住吉神社に仮遷座し、同15年9月、船見町85番地に社殿を新築して移転、同35年11月、同町125番地に移転改築された。同40年6月、神饌幣帛料供進神社に指定される。昭和5年6月、社殿以下全ての改築を行い同7年3月に竣功した。また、当神社は箱館戦争の折、榎本武揚率いる旧幕府軍に加わった桑名藩主松平定敬の御座所にも使用されている。
合併により合祀された歴史をもつ御祭神
稲荷神社 倉稲魂神・川濯神社 木花開耶姫命・匠廼祖神社 手置帆負命、彦狭智命・出雲神社 大国主命・住吉神社 中筒男命・秋葉神社 迦具土神、火産霊神・薬師神社 大己貴命、少彦名命・天満宮 菅原道真公

※いつもながら、北海道神社庁から引用
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山上大神宮
幕末の頃、第8代宮司・澤辺琢磨(旧姓・山本琢磨)は、天保6年(1835年)、土佐国土佐郡潮江村(現在の高知市)に土佐藩の郷士である山本代七の長男として生まれます。山本代七の弟・山本八平は同じ土佐郷士の坂本家に婿養子として入り坂本直足と改名、次男に坂本龍馬をもうけており龍馬とは血縁及び実質上の従兄弟同士であります。また琢磨の母は武市瑞山(半平太)の妻である富子の叔母であります。
酒を飲んでの帰り道に拾った金時計を酔った勢いで一緒にいた友人と共謀し時計屋に売ってしまい直ちにそれが不法なものであることが発覚して窮地に追い込まれます。訴追を逃れるために龍馬や半平太の助けを得て江戸を脱出し、様々な所を渡り函館に落ち着きます。函館では持ち前の剣術の腕が功をなし、それがきっかけとなって道場を開くと町の名士たちとも親交を持つようになり、そんな中で知り合った箱館神明宮(現・山上大神宮)宮司の沢辺悌之助に請われて娘の婿養子となり、以後、沢辺姓を名乗る。後に日本ハリストス正教会の初穂(最初の信者)となり、改宗して当宮を去りました。
今年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」第9回「命の値段」で、山本琢磨のエピソードが登場しました。
祭典のお手伝いをしている女性に聞いて見に行って見たのが、境内に蛇の彫物をした岩があります。
詳細のいわれも知りませんが、その女性に聞く所によると祈願すると福をもたらすそうで、お金に縁があまりない私がお願いしてきました。
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境内にある岩


このブログを見ている方は、松前神楽の「松前式」「函館式」等と少々異なる所があるのをご存知だと思われますが、函館市内での神社で行われている松前神楽は、「函館式」と言われている形式であります。
「函館式」は、その当時は函館市内でも「松前式」を行われていましたが、祭礼の時間がかかりすぎるということから、森町の森稲荷神社の小島仁太郎(昭和11年に75才で没)さんと、上磯八幡神社の村田義徳(昭和5年65才で没)さんが二人で、この形式を造られました。座数、舞い、楽をあらたに、手直して行われているのが「渡島式・函館式」であります。確かによく見比べると、省略された所を見られます。函館市内の方々は、「函館式」だけを松前神楽だと思われている方がほとんどだと思われます。解説する際にもこのエピソードも紹介された方がいいと思います。
時間省略の為に再編された松前神楽でありますが、舞いにキメがあるように思われ、舞踊の世界を表現している形式にしているようにも見られました。正直なところ、舞人の力量が全てあると思われますが、全体を見ているとそう思われてしまいます。現在の「松前式」では見られなくなくなった手振りもこの「函館式」で見る事もできます。
行われた神楽舞は、弊帛舞(みてくらまい)、鈴上げ(すずあげ)、二羽散米舞(にわさごまい)、三番叟(さんばそう)、十二の手獅子舞・五方(じゅうにのてししまい・ごほう)の5座でした。
弊帛舞(みてくらまい)、榊舞(さかきまい)、祝詞舞(のりとまい)とも云います。
その神社の宮司が朝夕玉垣内に参進して、神域を祓い清め、神拝して御幣を奉るという、神職の神明奉仕の姿を表した舞いであります。函館と近郊の町で行われる際には、松前神楽奉納となる時、斎主(その神社の宮司)が最初に舞われる舞いであります。
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弊帛舞(みてくらまい)
鈴上げ(すずあげ)、神子舞(みこまい)、乙女舞(おとめまい)とも云います。
天女の天降るさまを舞う神子(みこ)の祝福の舞いであります。
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鈴上げ(すずあげ)
二羽散米舞(にわさごまい)、庭散米とも書き、鳥名子舞(とりなごまい)とも云います。
鶏は天の岩戸開きに暗黒の世より光明の時を告げ、世の始まりに地を踏み固めた瑞鳥であるとされています。雌雄二羽の鳥形の冠を頭に冠し、羽根には雄は瑞雲つまり天を表し、雌は海の波を形どり地を表して、雌雄親しみ和合して、世の中が平和である様を表し、神の恵みの米をまき散らし、千五百秋の瑞穂の国の五穀豊穣を祝う舞いであります。
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二羽散米舞(にわさごまい)
三番叟(さんばそう)は、背が低く、顔が黒く、精力絶倫にして健康長寿、正道徳行の翁が、才智多い子孫に恵まれ自身もまた長寿であることを喜び舞う、家門の隆昌、子孫の繁栄を祝福した舞いであります。
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三番叟(さんばそう)
十二回手が変わるので、十二の手獅子舞と言われる云われています。1年十二ヶ月を形どり、獅子幕も十二反使用するを本格とするのであると云われています。五方とは、東西南北と正中(真ん中)を祓い固め蝦夷鎮定、国土安穏を祈る様を表しています。
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十二の手獅子舞・五方(じゅうにのてししまい・ごほう)
久々に山上大神宮を取材させてもらいました。私が「函館式」をはじめて見たのは、この山上大神宮の本祭で行われた松前神楽でありました。函館で松前神楽のことを聞くと、あまりいい顔といい返答をされた方もいたので、「函館式」の取材は、敬遠していたこともありましたが、山上大神宮の宮司さんは神社に訪問させて頂いた際にも対応して頂き感謝致しておりました。当時のことを考えれば、あまり松前神楽の事を知らない人に聞いたのだろうと思われてなりません。今度は、本祭を取材させてもらいたいと思いますが、いつのことやら・・・
明日からは、北上して行ったことの無い神社に行きます。

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