伝統行事・神事

福島町 福島大神宮 神輿渡御 2009

福島町を練り歩く、福島大神宮神輿渡御である。
昨年からもう1年経つのかと思いつつ、午前8時に行列は神社を出発した。
行列の先頭を行くのは、猿田彦である。猿田彦とは、

瓊々杵尊(ににぎのみこと)が天降りしようとしたとき、天の八衢(やちまた)に立って高天原から葦原中国までを照らす神がいた。その神の鼻長は七咫、背長は七尺、目が八咫鏡のように、またホオズキのように照り輝いているという姿でその神が国津神の猿田彦で、瓊々杵尊(ににぎのみこと)らの先導をしようと迎えに来たのであった。天孫降臨の際に道案内をしたということから、道の神、旅人の神とされるようになり、道祖神と同一視された。そのため全国各地で塞の神・道祖神が「猿田彦神」として祀られている。

※ウィキペディアから引用(http://ja.wikipedia.org/wiki/サルタヒコ)より
「天狗」のモデルとされているらしい。でもお祭りの行列では神様なので、「天狗」ではないのだが、一般的に皆「天狗さん」という。
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拝殿前から降りてくる神社行列

行列の順番であるが、まず先頭は「猿田彦」である。左右にいるのは、「袖引き」という警護である。高い下駄を履くので、バランスを保つことで猿田彦に恥を書かせない為の大事な係なのだ。後ろは楽人が並ぶ。
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先導する猿田彦
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祭典委員長
最後は、宮司、その後ろに神輿が続き、各町内の山車(やま)が続く。
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高らかに上がる神輿
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上5枚 各町内の山車(やま)が町中を踊り歩く
行列は、午後からも町内を進む。初日は、福島大神宮から峠のある(知内町方面)三岳方面を練り歩き、午後からは、町の中を歩き、塩釜という矢越岬の方面の地域までを行き、月崎神社まで行き終了となる。
「塩釜」という地区は、福島大神宮例祭には特別な地区である。四箇散米行列(しかさごぎょうれつ)の担当する地域なのだ。

塩釜の土門(戸門)家は代々之に奉仕した。現在も大祭礼に於ける「四箇散米行列」は土門家の指揮下に代々塩釜部落にて連絡奉仕して居る。

※「正統松前神楽」より引用
と記している。ここの地区に入ると、行列の楽(がく)から「四箇散米行列(しかさごぎょうれつ)」の楽(がく)に変えて行進している。
今回から引用した「正統松前神楽」は、福島大神宮の宮司・常盤井武季氏が書き記した、福島の松前神楽を説明した書物であり、私も昨年スキャンしたデータをいただき、只今読んでいる最中の資料である。「正統松前神楽」については、後日あらためて書くことにする。
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塩釜神社前
ちなみに、常盤井家と土門家は、福島町の歴史的にも重要なカギを握っている。

福島村の古百姓といわれる家に戸門家がある。 この家に伝わったといわれる史料に 『名主戸門治兵衞信春旧事記くじき』 が福島大神宮に保存されているが、 しかしその内容は、 神事に関することの集大成で、 記録の書体からすると、 常磐井家十二代笹井参河正武麗(たけあきら)の筆になるものなので、 この記録は近世以降の諸記録から摘記したもので、 福島への定着過程は記されていない。
松前藩が蝦夷地を上知され梁川 (福島県梁川町) に移封する際、 幕府の松前奉行に引き継いだと思われる 『村鑑-下組帳』 で、 この戸門家を 「古百姓 大永之頃 書物代暦 (歴) 不知、 其外書物品々、 治兵衞」 とあって、 戸門家の初祖治兵衞が大永年間 (一五二一~二五) 頃に福島に定着し、 多くの書物等もあると記している。 この記録からすれば戸門家は常磐井家より五十年程早く福島村に定着している。 近世初頭に入り村治方式が整った段階で戸門家は代々村名主となる名家でもあったが、 その出自は不明である。

※福島町史 通説編 上巻 より引用
とあり、渡御するたびに福島町を練り歩くだけで、歴史を感じさせるのだ。
この塩釜地区で一息し、行列は月崎神社を目指す。
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獅子に厄払いをしてもらう子供
毎年説明しているが、猿田彦の仕事である。重要な仕事は、ご祝儀をもらう人に向けることである。これは、今年見てきた旧南茅部地区(現・函館市)、旧恵山地区(尻岸内八幡神社)や鹿部町・本別地区でも猿田彦の仕事がある。ご祝儀をもらっても猿田彦は、お辞儀とか愛想のいいことは決してしない。毅然としていなければならないのだ。セールスマンの人はできないだろうと思われる。袖引きが、ご祝儀をもらいにいき、もらった物を必ず猿田彦に見せるのだ。
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ご祝儀をもらう
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猿田彦の身の回りの世話をする袖引き
最終地点の月崎神社が近づいてくると、雲行きが怪しくなってきた。小雨が落ちてきた。
神社に入るまで大丈夫だろうと思ったが、ほんの数百メートルで、大粒の雨が落ちてきてしまった。
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雨の中、月崎神社に入る行列
神輿が神社に入り、神事が行われた。今夜神輿は、この月崎神社で宿泊し、明日はここから出発となる。今年の取材は、ここまでとなった。やはり連日の取材が苦痛になって、明日の渡御は遠慮することにした。16日には、本祭が行われて、神楽奉納もあるので続きはそちらになるだろう。

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